第30回北大人文学カフェ

斬られる京劇にみる女性、亡霊、そして現代中国

中国の伝統劇である京劇は、歌唱と伴奏の入った音楽劇です。俳優は、型のある演技を通して人物を表現しますが、その役柄は類型化されており、性別や身分などが扮装によってわかりやすく示されます。19世紀から20世紀にかけて隆盛した京劇の演技は、長い歴史をもつ伝統的な様式を継承しながら、日本や西洋の影響を受けた近代劇の要素も吸収し、時代に合わせて変化し続けています。

今回の人文学カフェでは、古典小説『水滸伝』を原作とするいくつかの作品の鑑賞を通し、それらに共通してあらわれる「斬られる女」の演技や、死者の霊魂がどのように表現されるかに注目します。日本を経由して受容された舞台装置、写実的なセットを用いて撮影された京劇映画、上演から削除された霊魂の存在、「斬られる女」と「斬る男」の心理描写、といったトピックから、現代中国における京劇の伝統と現在をご紹介します。

今回のファシリテーター: 
熊 征
(北海道大学 大学院文学院 中国文化論研究室 博士後期課程)


イベント開催日
2022年11月13日
会場
北海道大学 文系共同講義棟6番教室とオンラインのハイブリッド開催
話し手
田村 容子(たむら ようこ)
北海道大学大学院文学研究院
中国文化論研究室 准教授

プロフィール

※プロフィールは人文学カフェ開催当時のものです。

はじめに

北海道大学大学院文学研究院 中国文化論研究室で中国文学、中国演劇、中国文化について研究しています、田村容子と申します。

本日は「斬られる女」というテーマで、中国の伝統劇である京劇についてお話をしてまいります。

まず、「京劇とは何か」ということを簡単に説明した後、京劇の「女性役」と「道化役」に注目します。その後、京劇の演目から「迷信の排除」がおこなわれるという話をして、最後に亡霊が出てくる演目を実際にご覧いただきます。

中国の伝統劇と日本

京劇とは、中国の清代、西暦でいうと18世紀末から19世紀にかけて、都である北京で形成されました。もっとも流行したのは、19世紀から20世紀にかけてといえるでしょう。

京劇は中国の伝統劇の一種で、西洋のオペラのように、俳優が自分でうたをうたうスタイルで演じられます。劇場には楽隊がおり、俳優のうたに合わせて生演奏をおこなう音楽劇です。京劇は約200年の歴史をもち、それ以前からある各地の伝統劇の様式を継承しているので、伝統劇の一種といえます。ただし、日本人がイメージする伝統芸能、たとえば能楽は約600年以上、歌舞伎は約400年以上の歴史があるといわれているので、それらと比べると、新しい演劇です。

現在では、ユネスコの無形文化遺産に登録されており、中国を代表する伝統劇の一種という扱いですが、日本人のイメージする伝統芸能とは、大きく異なるところもあります。それは、20世紀以降の中国社会の近代化、現代化(中国の場合、それは西洋化といってもよいのですが)にあわせ、形を変えつづけている点です。

伝統的な京劇の舞台は正方形で、後ろに壁があり、観客はそれ以外の三方向から見ることができます。演技が佳境に差しかかると、観客は声援を送って盛り上げます。西洋の劇場のように、前方に幕があるわけではありません。机と二つの椅子という最小限の舞台装置で、基本的には俳優の身体の演技によって、あらゆる場面を表現していました。しかし、20世紀以降になると、西洋式劇場が登場します。その後は、舞台装置を使い、装置の転換をするため前方の幕を開閉する、という演じ方もおこなわれるようになりました。

京劇の演技は、いわゆる「型のある演技」で、俳優が役の登場人物に直接なりきることはしません。登場人物をいくつかの類型に分けた役柄というものがあり、役柄によって演技の型が決まっています。つまり、役柄という演技の型を通して役の人物を表現する、という演じ方をします。役柄には大きく四つの型がありますが、とくに「女性役」と「道化役」に注目してみましょう。

女性役について補足すると、京劇は20世紀にいたるまで、基本的に男性の俳優ばかりで上演していました。したがって、女性の役も男性俳優が演じていました。下の写真は、梅蘭芳(メイランファン)という、20世紀の中国でもっとも有名だった女形です。楊貴妃の扮装をしています。

女性役について、日本の歌舞伎と比べた場合、大きな違いがあります。20世紀後半以降、中国では女形は衰退し、女性役は女優が演じるように変化していきました。20世紀までの京劇は、演者も観客も男性ばかりで、演じられる内容も『三国演義』のように、男の武将が戦いを見せる演目が中心でした。しかし20世紀以降、清王朝が滅亡して中華民国が成立したあたりから、女性が劇場の舞台に立つことの禁令が解かれます。また、女性が社会に進出するにつれて、劇場に劇を見に行くようになりました。そうした新たな女性の観客は、女性が活躍する演目を見たがったのです。結果として20世紀以降の京劇では、それまで脇役だった女性役(中国語で「旦」)が、主役となる新作演目がたくさん作られました。

そのうちの一つが、同時代の衣装を用いた現代物で、中国語で「時装戯」と呼ばれるものです。さきほどの写真で楊貴妃を演じていた梅蘭芳が、20世紀初頭の下の写真では、当時の中国で流行していた、身体にぴったりフィットするデザインの衣装を着ており、同時代の女性の生活を描く新作演目を演じていました。おそらく、20世紀前半までの京劇関係者は、京劇が古典であるという意識をあまりもたず、むしろ目前の社会の変化を取り入れていく、同時代演劇であろうとしたのではないでしょうか。そのような状況の中で女優が登場し、1949年に中華人民共和国が成立した後は、京劇の近代化が急速に推し進められていきました。

京劇の近代化には、じつは日本が大きく関わっています。1906年末、明治中期の日本では、「新派」という新しい演劇が流行していました。当時は多くの清国の学生が、日本を経由して西洋の医学や科学を学ぶために留学していました。かれらは当時の日本で流行していた新派の影響を受けて、新しい演劇を試みます。かれらが東京で最初に上演した演目は、西洋の翻訳劇である『椿姫』でした。こうした新しい演劇のことを、中国ではのちに「文明戯」と呼びますが、留学生の帰国とともに中国国内に伝播していきました。文明戯の上演には京劇俳優も参加し、その新しい要素を吸収します。文明戯で用いられた洋画の技法で描かれた背景や、ソファーやベッドなどの写実的な舞台装置、あるいは照明の効果などは、京劇の新作でも用いられるようになりました。

京劇の女性役と道化役

ここからは、実際の京劇の映像もまじえて、京劇の女性役と道化役の演技をご覧いただきます。いずれも、中国の古典小説として有名な『水滸伝』を原作とする演目です。

ご覧いただくのは、『武松』という1963年に作られた京劇映画です。後ろに写実的なセットを仕立て、その前で京劇俳優が型のある演技を見せる、という撮り方をしています。武松とは、下の写真右側の人物で、『水滸伝』では豪傑として知られています。武大という兄がおり、二人は偶然、再会します。武大は小説では小男という設定なので、京劇では道化役の俳優が担当しており、小男であることをあらわす独特の歩き方をします。武松と武大が出会った後、武大は潘金蓮という妻をめとったと紹介します。潘金蓮はその後、西門慶という別の男性と密通し、邪魔になった武大を毒殺します。それを知った武松は、兄を殺した潘金蓮と、その密通相手である西門慶に仇討ちをします。

最初の映像は、武松が兄の武大と再会し、兄が妻である潘金蓮を紹介するという場面です。ここでは道化役である兄の歩き方にご注目ください。

京劇映画『武松』(上海京劇院、1963)
 〔中国国営放送CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 7:20〜8:30 武松が兄の武大(道化役)と再会、兄嫁の潘金蓮(女性役)と出会う

次の映像は、潘金蓮と西門慶が逢い引きしていると聞いた武大が、現場を押さえようとして駆け込むが、西門慶に蹴り倒されてしまうという場面です。道化役の歩き方に注目してください。しゃがんだ状態のままで歩く「矮步」という、たいへん難しい演技術が使われています。

京劇映画『武松』(上海京劇院、1963)
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 6:20〜7:00 潘金蓮と西門慶の逢引の現場に駆け込む武大

つづいて、武松がすべてを知った後、自分の兄を毒殺した西門慶と潘金蓮に仇討ちをするところです。下図の右側のピンク枠の部分が、武松と西門慶のせりふです。武松は兄を殺したのは「貴様のせいか?」と。西門慶は「だったら悪いか!」と。「天をも恐れぬことを!」「もともと恐れていない!」このあとに、京劇独特のやりとりで、お互いに「へへ」と笑って余裕のあるところを見せ合いながらマウントを取るという、典型化された演技があり、武松が仇討ちをします。

京劇映画『武松』(上海京劇院、1963)
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 25:50〜27:15 武松が西門慶を斬ったのち、潘金蓮を斬る

迷信の排除と「斬られる女」の幻影

ここからは「迷信の排除」という話をします。中華人民共和国が1949年に建国された後、中国共産党政府は、「京劇改革」を国家プロジェクトとして推し進めます。これまで上演されてきた京劇の脚本を見直して、必要なところを整理したり、削除したりする改革です。1950年代の脚本に『京劇叢刊』というものがありますが、1963年に撮影されたこの映画は、『京劇叢刊』と同様に演じられていたことがわかります。

では、同じ場面の演技が、1910年代から20年代にかけて出版された京劇の脚本集『戯考』(上図左側の青枠)では、どのように書かれていたかを見ていきましょう。

(生)というのは男性の主役のことで、ここでは武松をあらわし、(西)というのは西門慶をあらわしています。
(生)「(兄貴を殺したのは)すべて貴様のせいか」
(西)「わしをどうするつもりだ」
(生)「目玉をくり抜いてやる」。
その後の〔 〕内は、ト書きという俳優の演技を説明するものです。
〔刀を奪って生(武松)が倒れると、霊魂が西(門慶)を押して退場させる。霊魂は生を助け起こし、生は見得を切って、後を追って退場する〕
霊魂は飛んで退場する
〔生は登場して身を翻し、後を追う。霊魂が刀を渡して西を殺し、退場する〕。

このように、俳優の演技を説明するト書きの部分に、「霊魂が……」と出てきます。この霊魂は、おそらく死んだ武大の霊魂でしょう。つまり、20世紀初頭の中国では、同じ演目で、死んだ武大の霊魂が出てきて、武松の仇討ちを助けるという演じ方をしていたのです。当時の中国社会では、死んだ人のたたりがあるとか、悪いことをした人間は死んだら地獄に落ちるとか、そうした土着的な信仰が人びとの中に根ざしていました。むしろこのような演じ方が観客には喜ばれ、説得力もあったのでしょう。

しかし、20世紀後半になり、中華人民共和国という中国共産党が指導する国においては、死んだ人のたたりが現世の人間に悪影響を及ぼすとか、死んだら地獄に落ちるといった迷信を排除することがめざされました。結果として、霊魂を描くような演目は、脚本や演出、演技の仕方自体が改められ、脚本も上図の左側(青枠内)から右側(ピンク枠内)のように整理されました。演目そのものを上演禁止にすることもおこなわれています。

次に、こうした「迷信の排除」を目的として京劇改革がおこなわれた時代、京劇の演技はどのような方向に進んでいったのかについてお話しします。

つづいて見ていただくのも、『水滸伝』を原作とする演目です。タイトルは『下書殺惜』、「手紙を落として閻婆惜を殺す」という意味です。主人公の宋江には、妾に閻婆惜という女性がいます。じつは閻婆惜は宋江の同僚と密通しており、宋江と別れてその同僚と再婚したいと思っています。ある日、宋江が秘密の手紙をうっかり閻婆惜のところに置き忘れると、閻婆惜はその手紙をかたに宋江をゆすり、彼女を離縁して再婚を認めるという離縁状を無理矢理書かせます。宋江は手紙を返してほしいので、言いなりになって離縁状を書くのですが、閻婆惜が手紙を返さない上に騒ぎ出したので、慌てて彼女を斬り殺す、という場面です。

宋江役の周信芳は、20世紀の有名な京劇俳優で、京劇に近代劇や映画の演技を取り入れたことで知られています。迷信が排除された20世紀後半に、周信芳がどのように近代劇的な演技を吸収し、思わず女を斬ってしまう男の心理描写を演じたのか、ご覧ください。

京劇映画『周信芳的舞台芸術』(1961)より『下書殺惜』
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 23:35〜25:15 宋江が閻婆惜を斬る(カラー京劇映画)

ここでは髭を口で吹くという演技で、慌てた様子をあらわしています。閻婆惜を斬った後、宋江は動揺し、生前の閻婆惜の幻を見ます。これは映画なので、閻婆惜の幻が多重に見える特殊効果を使っていました。周信芳は、その幻の閻婆惜に刃物を突き立てます。さらに、動揺のあまり、刃物をうまく鞘に戻せないという動きをしています。これが、20世紀後半の京劇改革の時代に、京劇に新たにもたらされた演技です。

同じ場面を、現代の俳優が舞台で上演した映像があるので、見比べていただきます。

京劇舞台中継『烏龍院』(上海京劇院、2012)
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 44:40〜46:10 宋江が閻婆惜を斬る(現代の俳優による舞台上演)

ここでも髭を口で吹くという、動揺をあらわす演技をおこなっています。演じている俳優(郭毅)は、さきほどの周信芳の流派を受け継ぎ、周信芳の考案した演技を継承しています。舞台中継なので、閻婆惜の幻を映像であらわすという特殊効果は使いませんが、やはり幻の閻婆惜に刀を突き立てるという演技を見せます。刃物を鞘に戻すことができないという動きもおこなっていました。

20世紀後半、周信芳が考案した、近代劇あるいは映画の演技を吸収した京劇における心理描写の演技は、現代では一つの伝統として受け継がれ、同じように上演されていることをご覧いただきました。

「斬られた女」の亡霊

いまの演目では、閻婆惜という女性が斬られてしまいましたが、これは小説『水滸伝』に書かれた内容にもとづきます。その後、『水滸伝』には、斬られた閻婆惜は登場しません。しかし、演劇には、「斬られた閻婆惜がどうなったのか」を教えてくれるような演目があります。

これから見ていただくのは『活捉三郎(かっそくさぶろう)』という演目で、「三郎を生け捕りにする」という意味です。この演目には、亡霊となった閻婆惜が、黒いヴェールをつけて登場します。ヴェールは冥界の人、つまり死者であることをあらわします。閻婆惜の生前の密通相手であった張三、この演目では中国語で三郎(サンラン)と呼ばれますが、三郎のところに亡霊となった閻婆惜がやってきて、あの世に道連れにしようとする話です。

密通相手の張三(三郎)は、道化役の俳優が担当しています。演じるのは、現在の中国で活躍されている、道化役の名優徐孟珂です。京劇では、女性の色香に迷う男は、西門慶のような髭のない若い男の役柄か、張三のような道化役、この二つの役柄が担当することに決まっています。亡霊の演技を京劇ではどのようにあらわすのか、ご覧いただきます。

まず、閻婆惜の亡霊が冥界から張三のもとを訪ねる場面です。この演目は全編にわたり、うたがあります。閻婆惜がうたうのは、「かつての道をいまひとたび戻り、あの人に会いに行き 別れの情と恨みを申し上げたい ともにあの世へと向かう道連れとしたい」という内容です。

京劇『活捉三郎』(国家京劇院、2012)
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 4:40〜6:00 閻婆惜の亡霊が冥界から張三のもとを訪ねる

この映像は、中国のテレビで放映された、プロの京劇俳優のオーディション番組です。途中で、観客であるファンの方が、オーディション当事者である俳優に声援を送るところも映ります。出演している女優(宋奕萱)も、プロの京劇俳優です。閻婆惜が亡霊であることをあらわす独特の歩き方をしており、観客はこの歩き方の演技に対して拍手喝采を送っています。

つづいて、同じ演目の最後の部分、閻婆惜が張三をあの世に連れて行く場面です。張三が、死にゆく演技をご覧ください。閻婆惜のうたは、「宋江に首を刎ねられたことを私は恨んでいません」と述べ、ただ密通相手である張三とは、生前、ずっと一緒にいると誓ったのに、「私が恨めしいのは、その負債をまだあがなってもらっていないこと」「あなたはかつてのことを忘れてはなりません」「私にねんごろに情を返してください」「今夜は幽魂となってお命をいただきにまいりました」と、このような歌詞をうたいながら、張三をあの世に連れて行きます。

京劇『活捉三郎』(国家京劇院、2012)
 〔CCTV-11戯曲頻道(伝統劇チャンネル)〕
 16:00〜20:30 閻婆惜は張三をあの世へ連れていく

この演目は、全編にわたり亡霊が出てきます。1950年代には上演禁止となり、ながらく中国では上演していませんでした。毛沢東の死後、1980年代に復活上演されるようになって、かつての演じ方が現代に伝承されています。現在でも、舞台で上演される機会はあまり多くないようですが、オーディション番組で京劇俳優の演技術を見せる、そういった番組の中であれば上演できるようです。

さきほど申し上げた、「斬られた閻婆惜はどうなったのか」という疑問は、このような演劇があることによって解消されます。斬られた女である閻婆惜の魂が慰められ、あの世で幸せになったという物語があることで、それを見る民衆は安心するのです。こういった話は、小説『水滸伝』の中には出てきません。中国の小説は、基本的には知識人男性が、文字の読める読者を対象として書いています。しかし、小説ですくい上げられなかった物語が、演劇の中では脈々と息づいているという現象が、中国文学にはしばしば見られます。

明代、『水滸伝』の後に書かれた『水滸記』という脚本の中に、この演目と似たような筋があることを、『水滸記』の研究をされた伴俊典先生が解説されています。『水滸記』には、閻婆惜と張三の冥界での結婚という筋が見られるので、おそらく『水滸伝』の二次創作のような形で書かれた脚本の筋が、その後の演劇の中に取り込まれていったのではないかと考えられます。

私の話はこれでおしまいです。ご関心のある方がいらっしゃいましたら、関連の著書がありますので、お手に取っていただければと思います。本日はどうもありがとうございました。

話し手からもう一言

演劇を研究することの魅力は、その対象が文字資料とは限らず、俳優の演技や、それが上演された場の空間がいかなるものだったのかを復元するところにあるのではないかと考えています。

中国演劇の筋書きや演技には、識字層も非識字層をもつらぬく、古典から現代までの中国人によるイメージが、豊かに蓄積されています。文字と非文字によって織りなされる、それらのイメージを読み解いていくと、文学を通じて理解してきた中国文化とは異なる一面があらわれることもあるのが、演劇研究のおもしろさです。

中国の場合、伝統的に芸術と政治が密接に関わってきましたが、とくに20世紀以降は、社会体制や政治状況の変化が演劇に如実に反映されています。こうした芸術と政治の関係について、授業ではしばしば、受講生から理解しがたいという反応をいただくことがあります。

芸術が政治に奉仕し、プロパガンダの役割を担うという現代中国の体制については、日本の学生、あるいは中国を含む海外からの留学生を問わず、多くの人が「距離をおきたい」と考えているようです。その一方で、政治がこれほどまでに芸術に干渉するのは、それだけ芸術の力を信じ、重視しているからではないか、ひるがえってわが国はどうか、という発見をする学生もいます。

今回の人文学カフェでは、「斬られる女」という物騒な筋書きとは裏腹に、陽気でにぎやかな音楽や、優美にうたい、滑らかな身のこなしを見せる俳優の演技に、予想をくつがえされたというご感想をいただきました。中国の文化を知ることは、同時に自身のものの見方や、それを形作ってきた社会の文化についても、新たな発見をもたらしてくれるのではないでしょうか。

関連著書

男旦(おんながた)とモダンガール
二〇世紀中国における京劇の現代化
田村 容子(著) 中国文庫
出版年月日 2019年3月25日
ISBN 9784990635787

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中国文学をつまみ食い
『詩経』から『三体』まで
武田 雅哉、加部 勇一郎、田村 容子(編著) ミネルヴァ書房
出版年月日 2022年2月20日
ISBN 9784623092833

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中国文化55のキーワード
武田 雅哉、加部 勇一郎、田村 容子(編著) ミネルヴァ書房
出版年月日 2016年4月10日
ISBN 9784623076536

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