29 北大人文学カフェ「交易品がつないだ、アイヌ琉球古代東アジア海のネットワーク」開催されました

2022年7月31日(日)、第29回北大人文学カフェがオンライン開催されました。今回は「交易品がつないだ、アイヌと琉球 — 古代東アジアの海のネットワーク」と題して、話し手の蓑島栄紀准教授(文学院アイヌ・先住民学研究室)に、古代東アジアにおける交易品の流通に具体的に光をあてながら、それらがときには北方世界と南方世界を直接つなぎ、グローバルなネットワークを構成する一部となっていたことについてお話しいただきました。お話の後は参加者の皆さんと質疑応答を通して交流しました。当日はおよそ100名の方にご視聴いただき、事後視聴を含めると384名に参加いただきました。

第1部は、蓑島先生のお話の時間です。導入として、「昆布がつないだ、近世の蝦夷地と琉球」についてお話がありました。昆布などの海産物が交易活動を通じて近世の蝦夷地と琉球を結びつけていました。それだけではなく、さらに時代を遡った古代からアイヌと琉球はつながっていたことが、近年の古代史研究で明らかになってきているそうです。その新しい知見を今回のカフェで紹介いただきました。

まず、“古代の琉球と「貝の道」「硫黄の道」”と題して、琉球発の交易について報告されました。古代琉球の代表的な交易品には貝製品があり、これらが流通する道は「貝の道」と呼ばれ、弥生時代には北海道まで届いていました。蓑島先生が学生時代に拾った、貝の実物を紹介しながらさまざまな貝の交流が紹介されました。

イモガイ(写真中央手前)、スイジガイ(中央奥)、クモガイ(右)、ヤコウガイの蓋(左)

さらに、薩摩硫黄島で産出された硫黄が中国(宋)に輸出されていたこと、南海産の鮫皮が中世以降、北海道にも届いていたことなど、琉球の特産品が古くから東アジアや北海道などの広域にわたり交易されていたというお話がありました。

次に、“「古代アイヌ」の経済活動—北の海の交易者—”と題して、アイヌ民族発の交易について解説されました。古代から中世におけるアイヌと日本の交易品には、クロテンなどの毛皮、ワシの羽根などがあり、時代の変遷とともに秋田城、奥州藤原氏が支配する津軽外ヶ浜、津軽十三湊と交易拠点を移していきました。この拠点を介して、都や中国に産物が届けられていました。

最後に「古代東アジアの海のネットワークと、アイヌ・琉球」と題して、このような交易を行っていた人びとについて説明がありました。蝦夷地から琉球までを往来し、多種多様な産物を扱う日本商人に加え、東アジア海域を行き来する国際商人の活動もみられたようです。古代の東アジアにはグローバルな交易ネットワークが形成されていて、アイヌや琉球はその重要な位置を占めていたとまとめられました。

第2部は、参加者の皆さんからいただいた質問に蓑島先生が回答していく対話コーナーでした。聞き手のアイヌ・先住民学研究室の大学院生、アレクサンダー・グルコフスキーさんが、いただいた質問を紹介し、それに蓑島先生が順に回答していきました。

いただいた質問を紹介するグルコフスキーさん(左)と回答する蓑島先生

古代アイヌの人びとにとっての交易の位置づけ・アイヌ文化との関わりについて、当時のアイヌ・琉球交易をする上で日本や中国からの抑圧・不平等取引について、アイヌ民族に対する歴史認識と交易との関係、東北の交易について、アイヌと琉球が直接行き来していた可能性について、実物を紹介した貝の入手先、流鬼国、奥大道の成立期など多くの質問をいただきました。

参加された方からは、「専門の内容をわかりやすく教えてくださっておもしろかった」「古代日本や中国との関係を交え非常にわかりやすい内容だった」「アイヌも琉球も明治から同化されて、劣ったと見られて差別されていたが、歴史のなかでは、ダイナミックな交易の主人公であることが感じられた」「本で知識を得るのもいいですが入口としてこういった講座を聴くというのもいいものだと思いました」「分かりやすい説明でアイヌと琉球の歴史が理解できました」「蝦夷と琉球は遠くて近い存在だった、と言うことを知りました」「聞き手の方の補足も興味深かった」「対話形式だったので話にアクセントが入って聞きやすかった」「途中から、専門が同じ(近い)2人でのトーク形式になったので、どんどん話が深くなって良かった」等、多くの感想をいただきました。どうもありがとうございました。