一生ものの学び。知識が血肉となる貴重な2年間

プロフィール

吉田 公樹 さん(毎日新聞社 勤務)
静岡県牧之原市出身。静岡県立藤枝東高等学校卒業を卒業後、2002年北海道大学文学部入学。2007年、北海道大学文学研究科思想文化学専攻芸術学専修*に入学。日本美術史を研究。2009年3月修了、同年4月より毎日新聞社に入社、現在は大阪事業本部にて勤務。

*2019年4月の改組により、文学研究科は文学院に、思想文化学専攻は人文学専攻に統合、芸術学専修は芸術学研究室になりました。

北大文学研究科(芸術学専修)を選んだ理由

学部最初の数年は釣りサークルの仲間たちと釣りばかりしていました。もともと芸術に詳しかったわけでもなく、なんとなく芸術学研究室の扉をたたき、居心地がよくて研究室ですごす時間が増えていったのがきっかけです。

芸術学研究室では、「全ゼミ」と呼ばれる演習があります。すべての教員、院生、学部生が専門の垣根をこえて集まって学部生の発表を聞き、議論を交わします。先生方、先輩方の議論を聞くなかで、自分がそれまで持っていた「芸術」イメージがいかにステレオタイプだったか気づき、芸術を研究するということの面白さにひかれもっと深く勉強したいと思うようになりました。

鈴木幸人先生にご指導をいただき日本美術史を学びました。日本美術を学ぶうえで札幌の地は不利な面もありますが、一般企業への就職を考えていたこともあり、引きつづきこの環境で勉強したいと北大文学研究科に進学することにしました。

大学院ではどんな研究を

江戸後期の文人画家・田能村竹田(たのむらちくでん)の「亦復一楽帖(またまたいちらくじょう)」(奈良・寧楽美術館蔵)という作品について勉強しました。

美術や芸術と聞くと、造形的な新しさや、制作意図、込めた思いなど、作者の問題ばかりが思い浮かぶと思いますが、当時の資料を検証し作品完成までの経緯をたどるなかで、どこでどのように楽しまれていたのか?ということが見えてきます。

亦復一楽帖は竹田が親友の頼山陽(らいさんよう)に贈った、当時の文人サークルのプライベートな関係のなかで誕生した小さなアルバムのような作品です。山陽は、鴨川沿いの書斎でひとりページをめくりながら楽しんだと思います。描かれた風景や、筆あと、漢詩に導かれてさまざまなイメージが広がる。思うままに心を遊ばせ、またもどってページをめくる…。このような、作品を通した特別な時間や体験こそ、亦復一楽帖に求められたものではなかったかと思います。竹田も、それをふまえて趣向を凝らした形跡がみとめられます。
また、明治・大正になると、この作品は前時代の文人の交流を象徴する作品として愛好家の憧れのまとになり、たいへんな高値で取引されるようになりました。作品を囲み、語りながら、在りし日の山陽がここに見ていただろうものや、その生き方を追体験しようとする人たちの姿が浮かんできます。

こうして、制作当初の「居場所」を知り、今は失われてしまった鑑賞のあり方を明らかにすることで、あらためて作者の意図について考察を深める。そして作品のより深い魅力や意義に至ろうとするのが、大学院での研究だったと思います。

大学院に行ってよかったですか

修士の2年間のおかげで、大学での学びが一生ものになりました。

作品を間近で拝見したり、学芸員の先生方やご所蔵者のお話を伺ったり、そのお礼状を書いたり、ゼミ生で集まって文献を読んだり…。鈴木先生には貴重な勉強の機会を数多く作っていただきました。ひとつの美術作品から出発し、ある時代や場所を生きた人々の感覚や当時の文化に触れることは、今の自分のあり方を知ることになる。こうして、芸術についての専門的な勉強が、生き方という問題に繫がっていく。先生とのお話は、それが雑談の体であっても、いつもそういった教えを含んでいたと思います。

こういった姿勢を、知識として得るだけでなく、自分のものとして身体に染みこませるために、専門に浸る修士課程という時間が必要ではないかというのが今の実感です。

私は浪人と学部留年もしている(!)ので、ストレートの新卒に比べて4年遅く社会人になりましたが、仕事上ハンデのようなものは感じていません。

在学中、大変だったことは

楽しく充実した2年間でしたが、そもそも勉強を深めるためにしんどいプロセスは避けられないと思います。根が怠惰な私は鈴木先生をはじめ、内外の先生方、先輩方、ゼミの仲間にたいへんお世話になりながら勉強していました。

修了後→現在までの道のり

就職活動は、展覧会に関わる仕事につきたいと考えていたため新聞社にしぼって試験を受けました。2009年4月に毎日新聞社に入社、大阪販売局に配属となり、取引先である新聞販売店の方々とのお仕事に10年携わりました。2019年4月から大阪事業本部に異動し現在にいたります。

現在のお仕事の内容

美術展覧会など、新聞社が主催する事業の企画・運営をしています。
展覧会は、主役である作品とその専門である学芸員さんが軸になり、さまざまな職種の人たちの協力によって作られています。企画立案、予算作成、会場選定、出品交渉、PR、図録製作、グッズ製作、輸送、展示、会場運営、イベントの実施、決算・・・など、計画から終了まで業務は多岐に渡ります。展覧会によって新聞社がどの部分に関わるかはさまざまですが、事業部員は、同時に進むこれらの業務全体を把握し、よりよい展覧会になるよう調整・管理する役割が求められると思います。

大学院で学んだことは今のお仕事に役に立っていますか

毎日新聞社が主催した展覧会の図録が収められた部内書棚の前で。手に持っているのは北大芸術学研究室ゆかりの方たちが学芸員として担当した図録です。

どのような仕事に携わるとしても(学んだ知識を直接的に生かせる、生かせないの問題以前に)、自分の仕事について理解することが大事だと考えています。

「会社のため」に働くのが会社員ですが、なにが会社のためになるのか、そのなかで自分がどのような役割を果たしていくべきか、は、答えの定まっているものではありません。目の前の仕事に注力すると同時に、関係するさまざまなことがら(情報、メディア、ジャーナリズム、会社組織、個別配達、マーケティング、法令などなど…)についての考察や勉強を重ね(仕事を一緒にする方々はよき先生でもあります)、目の前の業務の意味や自分の仕事の立ち位置を理解する。こうして実践と理解を行き来させながら、こうあるべきと考える歯車に徹して働くうちに、主体的に仕事に取り組めるようになる…、つまりやりがいが生まれるのだと感じています。

こういう技術は大学院での時間によって身についたものです。それまでは釣りしか知らない人生でした。

今後の目標・夢

勉強していた分野とはいえ、今の部署では駆け出しの身です。とにかく現場での経験を積み、必要な力を付けたいです。展覧会に来られた方が、作品を見ることで心から感動する、またその体験が生きる活力になる…。芸術の魅力を深く伝える展覧会を広く知ってもらう仕事に取り組んでいきたいと思っています。社会人としてこれからさらにがんばりどころです。

後輩のみなさんへのメッセージ

大学院で身につけた生きる姿勢は今後もさまざまな形で自分を支えてくれると思います。つらいときは好きな絵を見て心を解放するという術も身につけることができました。それまでは釣りしか知らない人生でしたし、学問的な方法を使って、釣り文化について考えることもライフワークになっています。

みなさんにとっても大学が特別な場所になることを、またそういう場所がこれからも大切にされることを心から祈っています。

(2020年9月取材)