視覚以外の感覚を用いて歴史を学ぶ方法を考える充実した日々

プロフィール

村山 彩 さん(筑波大学附属視覚特別支援学校 勤務)
宮城県大崎市(旧鳴子町)の出身。宮城県古川黎明高校を卒業後、2006年北海道大学文学部入学。2010年、北海道大学文学研究科歴史地域文化学専攻日本史学専修*に入学。学部では古代史を大学院では中世史を学び、修論のテーマは「中世後期における文芸活動と人々の結びつき」。2012年3月修了、同年4月より筑波大学附属視覚特別支援学校に勤務。

*2019年4月の改組により、文学研究科は文学院に、歴史地域文化学専攻は人文学専攻に統合、日本史学専修は日本史学研究室になりました。

北大文学研究科(歴史地域文化学専攻)を選んだ理由

高校の日本史の先生に影響を受けて歴史学を学びたいと思い、高2のオープンキャンパスで北大日本史学講座を見学して面白そうだと思ったので、北大文学部に進学を決めました。より成長したいという思いから、大学院進学を決意しました。

学部生の頃の専門は日本の古代史です。卒論のテーマは「平安時代における火色の禁制について」。平安時代の貴族の服装、中でも色に焦点を当て、そのルールについて経済的な視点から考えるというものです。

大学院では中世史を学びました。修論のテーマは「中世後期における文芸活動と人々の結びつき」で、連歌会と一揆について論じました。学部生の頃に日本文化論コースというカリキュラムを選択し、歴史だけでなく文学・芸術・宗教など幅広く触れる機会があったので、それが論文のテーマに反映されているような気がします。

橋本雄先生の初回の講義は、特に印象に残っています。歴史の中で、「百姓」と一括りにして考えられがちだった人々の生活が、思った以上に多様なものだったということを教えていただきました。自分がいかに一面的に歴史をとらえていたかいうことに気付かされ、とても新鮮に感じました。先生のご専門は東アジアの国際関係史で、国境を行き来する人々が登場します。日本の歴史だけに注目していたのでは見えてこないようなダイナミックな歴史の考え方が紹介されるところも、魅力の一つでした。

大学院への進学についてはかなり悩みました。教員採用試験に落ちて、自分に自信が持てなくなっていたからです。大学院に進学するということは、学部生の面倒を見たり、先生のお仕事の一部を手伝ったりといったような、研究以外のスキルも求められるということです。自分にはそれにつながるような経験もほとんどありませんでしたし、大学院生の先輩たちをとても尊敬していた反面、自分にはつとまらないのではないかという不安もありました。それでも、そういう環境に身を置けば少しずつ成長できるかもしれないと思いから、自分を試すような気持ちで進学を決断しました。大学院で経験を積んで、自分の世界をとにかく広げたいと思いました。

大学院ではどんな研究を

中世日本で流行した「連歌」と、「一揆」のような人々の結びつきについて研究しました。室町時代頃の日本では、いたるところで連歌会が催され、そのたびに人々が集まってコミュニケーションをとります。こうしたコミュニケーションが、人々の何らかの行動のきっかけになっていったのではないかと考え、具体的には大和国の一地域に存在した染田天神講という組織が行った連歌会に関する史料を調査して、連歌会に参加した人々の動きや関係性などを追っていきました。

大学院に行ってよかったですか

よかった点は三つあります。

一つは、人間関係が大きく変わったことです。大学院のゼミには他大学から進学してきた人や社会人経験者など様々な背景を持つ人が参加するので、幅広い考え方を学べましたし、研究室の人間関係にも恵まれて、新しい居場所が一つできたようにも感じました。色々な人と接するうちに少しずつ自信を持てるようになって、未経験のことにチャレンジできるようになっていきました。他人から見たら普通のことですが、自分にとっては大きな前進でした。

もう一つは、先生方から教わることが学部の頃よりも格段に増えたということです。たとえば、院ゼミといって研究室内で自主的に開講するゼミがあるのですが、どのように運営すれば盛り上がるか、後輩の発表にどうコメントすれば役立つアドバイスになるかということは、先生方や先輩の振る舞いから学びます。また、TAとして学部生向けに開講されている講義のお手伝いをしたときは、講義の目標を共有することで、先生の考え方や何を大切にしているかなどを学ぶことができます。困ったときに具体的にアドバイスして下さることもありましたし、研究に向かわれる姿勢そのものが、大事なことを教えて下さる場合も多々ありました。学部の頃よりも研究者としてほんの少しだけ(本当にごく僅かだけですが)先生の近くで物事を見ることができるというのは、何より貴重な体験でした。

最後の一つは、自由に使える時間が学部の頃より増加したおかげで、学外で貴重な経験を積めたことです。在学中にご縁があって、札幌市内の高校で講師として勤めたときのことは今でも糧になっていて、同職場のベテランの先生(研究室の大先輩)に言われた言葉が特に印象に残っています。「きちんと教えられる教員になるために、目の前の研究に向き合いなさい。真剣に学問に向き合ったほうが後々いい教員になれるから」。大学院で一生懸命研究に打ち込むことが、自分の将来に確かにつながっているのだと実感させられた言葉でした。教育の世界の奥深さを知り、教員になりたいという気持ちが更に強まったのを覚えています。

在学中、大変だったことは

人付き合いに苦手意識があり、最初の頃はたくさん失敗しました。新入生向けの簡単なガイダンスですら、とても緊張したことを覚えています。慣れるまでは大変だったのですが、色々悩んだ結果、そのような自分の現状を「今は無理でもいつかできるようになる」と前向きにとらえられるようになった経験は、社会人になった今でも役に立っています。研究においても同様で、すぐに結果は出なくても論文や史料を読んでひたすら考える、そうした時間の積み重ねが重要なのだと学びました。同じ研究室の仲間に支えられたおかげで大変なことも乗り越えられ、精神的にタフになれました。

修了後→現在までの道のり

修士2年の夏頃から私立高校などの採用試験を受け始め、最終的に北海道・東京・大阪にある3つの学校から内定をいただき、そのうちの1つ、東京都文京区にある筑波大学附属視覚特別支援学校に就職することになりました。中学生に社会、高校生に地歴・公民を教えていて、今年で8年目になります(うち2年間は育児休暇取得)。視覚に障害がある生徒たちに、歴史の面白さを伝えるにはどうすればいいかを考えるのが日課になっています。

現在のお仕事の内容

2016年3月、卒業生と一緒に

私たちはこれまで、史料・地図・絵・写真・グラフ・表などを「見る」こと、つまりは大部分を視覚に頼って歴史を学んできたと言えます。それらが見えない・見えにくい盲学校の生徒たちは、どうやって歴史を学べばよいでしょうか。視覚以外の感覚を用いて歴史を学ぶ方法は意外とたくさんあります。一つは聴覚です。教員の話を聞くだけでなく、博物館の学芸員さんのお話や、出来事を実際に体験された方のお話、録音音源を聞くなど多様な方法があります。もう一つは触覚です。盲学校の授業では実物教材や模型教材がよく用いられます。私の授業では土器や石器、甲冑の模型、建物の模型、仏像のフィギュアなどが登場し、生徒たちはそれらの教材をじっくり触って様々に感想を言い合います。こちらが思いもしなかったような新しい発見が出てきたりする、楽しい時間です。その他にも味覚・嗅覚を使うなど様々な方法が考えられます。視覚に頼らなくても、工夫次第で豊かな歴史像を結ばせることができる。これは盲学校に限らず、歴史を教える上で大事な視点だと思っています。

また、学校の資料室に収蔵されている視覚障害教育の歴史に関わる史料を、ボランティアの方々と協力して整理・保存・展示する仕事などにも携わっています。視覚障害者が読み書きに使用する「点字」は、1825年にフランスのルイ・ブライユという人物によって開発されたものです。一方で日本語の点字は、1890年に本校の前身である東京盲唖学校の教員であった、石川倉次という人物によって生み出されました。点字の起源に関する史料は歴史学的に見ても大変貴重であり、これらを未来に残していくという業務には重い責任を感じていますが、それだけやりがいもあります。

大学院で学んだことは今のお仕事に役に立っていますか

大学受験のためには歴史の楽しさだけではなく知識や思考力も身に付けてもらう必要があり、それらを教える際には大学院で深く歴史を学んだ経験が役立っています。

盲学校の生徒は歴史のイメージを形成することに時間を要します(私たちは普段、ドラマ・漫画・アニメなどから無意識に視覚情報を受け取っています。これらが全て遮断された状態を想像してみてください)。そうかと言って、授業中にイメージを持たせようとするあまり伝える情報が煩雑になっても、本筋が見えなくなってしまう。視覚障害による情報不足を補いながら授業のポイントをスッキリ分かりやすく伝えるためには、教材研究などでいかに「物事の本質をつかむ」かが重要になってきます。そこでは、大学院で修論を書いたときに身についた「物事を突き詰めて考える」「厳密に言葉を用いる」といった姿勢が役立っていると感じます。

今後の目標・夢

目標は二つあります。一つは教員として「視覚に障害のある生徒に、歴史は自分たちの身近にある楽しいものだと感じてもらう」という目標。もう一つは、「なぜ歴史を学ぶ必要があるのか、その答えを追求する」といった個人的な目標です。

文系学問が軽視される昨今の風潮において、とりわけ歴史は、勉強して何の役に立つのかと疑問視される科目の、筆頭に挙げられることが少なくありません。そんな状況だからこそ、盲学校の授業で見えない・見えにくい子に対して、彼らが社会で生き抜くために、何を、本当に教えていかなければならないかを考えることは、世の中でこのような学問が、絶対に必要であると訴えることにつながる気がしています。気がするだけで、自分の中で明確な答えはまだ出ていないのですが・・・。いつか考えがまとまったら、研究室で同じ時間を過ごした人たちと、このことについて語り合うことが「夢」かもしれません。

後輩のみなさんへのメッセージ

大学院進学を決めたことが今の仕事につながり、忙しくも楽しい毎日を送っています。学問と真剣に向き合い、物事の本質を考えるという経験は、たとえ教員以外の仕事に就いたとしても役に立つはずです。大学院で出会う様々な人・色々な経験を通して身に付く多様な価値観は、今の「正解がない時代」を生き抜くためにも必要な力になるのではないでしょうか。もし自分の教え子が大学院進学を迷っていたら、私は自信を持って背中を押すと思います。

(2019年7月取材)