学芸リカプロ フォトエッセイ
#4 セザンヌ畑に育った僕等 -今田敬一「卓上静物」をめぐって

学芸リカプロの活動内容や、企画の裏話、こぼれ話を紹介していくフォトエッセイの第4回、学芸リカプロの受講者・中島香矢さんのエッセイをお届けします。今回紹介する今田敬一の作品は、10月6日より北海道大学総合博物館にて開催される企画展「DISTANCE #学びと距離の物語」にて展示されます。

セザンヌ畑に育った僕等 -今田敬一「卓上静物」をめぐってー

中島香矢    
北海道美術史研究

今田敬一(1896-1981)「卓上静物」 制作年不詳 キャンバス 油彩 100.0×80.0

北海道大学農学部図書室には、今田敬一(1896-1981)の「卓上静物」が飾られています。今田は農学部林学科教授として、長年、森林美学や寒冷地の造林学を研究してきました。この作品は図書室の改築(1986年)記念として、当時の農学部長、岡島秀夫が遺族に依頼し、寄贈されたもの。岡島は今田の遺作展(1985年)に感銘を受けており、「独自の深みのある緑を基調にした」この絵を自ら選んでいます。*1

今田は北大の美術団体黒百合会を経て、北海道美術協会(道展)の創立と発展に寄与した画家であり、北海道美術史の研究者でもありました。『黒百合會囘顧錄』*2では、服部正夷*3と共にセザンヌに傾倒したことを詳述しています。その草稿*4が北海道立図書館に保管されており、原稿にはない表現が若き日の今田を伝えていますので、一部ご紹介します。

この草稿は1915(大正4)年、今田が農学部の予科に入った時、前の席にいた服部のことから始まります。札幌中学でも同窓の服部は、中学時代からセザンヌを研究するほど絵の技量も美術の知識も豊富であり、今田に黒百合会との機縁をもたらしました。

自然を熱愛する今田は自然をテーマに描いていましたが、大正7年、「セザンヌを通じて僕の繪境が忽然と変化」します。「セザンヌの静物を一見し、その実在感の豊富さに驚倒して了った。」「セザンヌの視覚は實に正確だ。」

本当に絵の勉強を始めたと言えるのは大正10年以来と語り、「斯うした轉換は服部君と共に刻苦して進めたセザンヌの研究の結果だ。僕らは繪画と言ふものが、気まぐれの處産に非ずして理性の基礎の上に作らるべきものであることを判り知った。」「セザンヌの書簡は殆ど聖典にも等しかった」と、文章は続きます。
セザンヌに学ぶあまり、絵が理性的になりすぎて完成しなくなりますが、週に一度は服部と深夜まで絵を語り、お互いを素描し合い、タブローを比較するなど、熱心に絵画修行を続けます。「描いて描いて描き捲った。」「格別に苦しい時代だった。」

そして、服部との別れが訪れます。「大正十二年服部君は仙台に職を得て、我々は分れねばならぬ時が来た。随分永い間親密な画友として交際し、繪に対する僕の熱心さは直接間接服部君に負ふ處」と感謝しています。

大正13年夏、服部との再会を果たして今田は語ります。自分の興味はゴッホ、ゴーギャン、ピカソ、マチス、ドランに移ったが、「セザンヌ畑に育った僕等は、繪の話はお互い完全に了解し合ふことが出来、セザンヌに由って裏書された『感覚に由ってクラシックに帰る』と言ふ生き方は、(中略)僕に執って確定的の目標であり、服部君も亦同様のものを抱てゐる様に見受けられた。」

草稿からは、苦しみながらも真摯に絵画に取り組む姿が浮かび上がってきます。ひとつの道を突き詰めようとする孤独、そのかたわらにはセザンヌという源泉と、互いに切磋琢磨する画友の存在がありました。このような背景を持つ静物画が時間的距離を超え、今も学生達の学びを見守っています。

  • *1) シリーズ学内の美術―その13― 「北大時報」№389 北海道大学庶務部庶務課 1986年 p29 
  • *2) 「黒百合會囘顧錄」北海道帝國大学文武会美術部 1931年
  • *3) 服部正夷(はっとり せいい)(1897-没年未詳)増毛郡生まれ。1923年、北海道大学農学部農学科卒。宮城県立仙台第一中学校教諭、台北州立宜蘭農林学校教諭、台北州立基隆中学校教諭、高雄州立屏東農業高校8代校長、台南州立嘉義農林学校7代校長、1949-59年、北海道標茶高校2代校長。1929年、第3回台展で「風景」特選、第4回台展は「風景」が無審査、「花」で入選、第9回台展は「静物」で入選。
  • *4) 「今田敬一氏寄贈資料250 原稿断片」北海道立図書館蔵

今田敬一氏の著作権者にあたる方をお探ししましたが、今回はたずね当たりませんでした。
お心当たりの方がおられましたら、「北海道大学学芸員リカレント教育プログラム」事務局までご一報いただけましたら幸いです(recurrent_hokudai@let.hokudai.ac.jp)。