大学院で学んだことで役に立っていないことはほぼない

プロフィール

藤井 光 さん(東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 准教授)
大阪府高槻市出身。1998年に北海道大学文学部に進学。2002年に文学部を卒業後、そのまま大学大学院文学研究科に進学し、当時の言語文学専攻・西洋文学専修*にて現代アメリカ文学を研究。2007年3月に博士(文学)を取得。修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)、同志社大学文学部英文学科助教を経て、2021年4月より現職。

*2019年4月の改組により、文学研究科は文学院に、言語文学専攻は人文学専攻に統合、西洋文学専修は欧米文学研究室になりました。

北大文学研究科を選んだ理由

生まれ育った土地から遠く離れたところを見てみたいという思いから、北大文学部に進学しました。現代アメリカ文学で卒業論文を書きましたが、3年生になったときに専攻を英米文学に変えたこともあり、何から何まで中途半端な出来のまま終わってしまったという自覚がありました。物語についていろいろな角度から考えてみることが性に合っているとも思ったので、もう少し勉強を続けてみることにしました。指導教員である瀬名波栄潤先生には僕の好きなテーマで勉強させてもらい、その環境に居心地のよさを感じていましたので、ほかの大学院に行くことは考えずに文学研究科を選びました。

大学院ではどんな研究を

博士前期(修士)課程ではアメリカの小説家ポール・オースターの作品について勉強をしていました。小説・詩・自伝と表現形式が変わっても、「私とは何か」というアイデンティティの問いと、自己に含まれる「他者性」の問題が一貫して追求されているということを取り上げました。

博士後期課程では、現代アメリカ作家のスティーヴ・エリクソンやポール・セロー、デニス・ジョンソンらの小説を取り上げ、アイデンティティの問題が「アメリカとは何か」という問いと接続されているなかで、時間や空間の捉え方が変化していることを取り上げて博士論文を書きました。二十代半ばの若造がそこまでの大風呂敷を広げても、のびのび見守ってもらえたことに感謝しています。

博士後期課程への進学理由

博士前期課程ではオースターというひとりの小説家に絞って、言語による自己表象の問題などを考える機会になりました。一方で、アイデンティティという問題をめぐってオースターが展開している視点は、ほかの現代作家にどうつながっていくのだろう、という好奇心が次第に膨らんでいました。そうなると、あの作家もこの作家も取り上げて考えてみたい、と研究対象の候補が頭をよぎるようになり、その興味に忠実に動いてみることにして、進学を決めました。

大学院に進学してよかったですか

いきなり私事の話をしてもよければ、生涯の伴侶となったのは学部から大学院(前期課程)の同級生ですので、大学院に行ってよかったの一言に尽きます。

勉強に関しては、自分が気になることをそれなりに突き詰めることができ、それをまとめた論文に対しては折々に指導と励ましをもらえたので、最高の時間を過ごせたと思います。加えて、分かることが一個増えれば、分からないことは十個増えるわけで、勉強すべきことの膨大さに直面し続けた結果、多少は謙虚さが身についたような気もします。大学院時代に学んだことが現在の仕事内容にほぼ直結していますので、その意味でも人生を大きく決めた時期ですが、それ以上に、文学を学ぶなかで、物語のなかに描かれる「人」を学んだだけでなく、北海道大学および北海道でアメリカ文学を研究する先生方の「人」としての温かい姿に触れられたことは一生の財産だと思います。

在学中大変だったことは

前期課程では卒業論文をどう発展させるかを考えればよく、ある意味では研究範囲がこれでいいのかどうか悩まずにすみましたが、後期課程に入って自分の研究対象を広げるとなると、全体の軸をどこに定めればいいのか、はっきりした答えが出ない時期(およそ後期課程2年目の前半まで)が難しい時期だったと思います。とりあえず勘頼みで進んでいくうちに、なんとなく全体の方向性が見えたのが2年目の秋で、そこからは博士論文として全体をまとめる時間があるかどうかの戦いでした。

自分が勉強していることに枠組みを与えていくにあたっては、情報が多すぎると軸を見失うことの危険もあると思います。その点では、関東や関西といった、ときとして情報量が過多になりがちな土地から離れた北海道にいたことで、自分の発想を形にすることに集中できたのかなと思います。

修了後から現職への道のり

2007年3月に博士の学位を取得し、4月より日本学術振興会特別研究員(PD)として3年間の研究員生活をスタートさせました(受入機関は東京大学)。研究員となって2年目のカナダ滞在中に、学会の研究者求人情報で現代アメリカ文学を専門分野とする公募が出ていることを知って応募してみたところ採用が決まり、2009年4月に同志社大学文学部英文学科に助教として着任しました。同大学で12年間を過ごす間に、現代小説の翻訳紹介に携わるようになったほか、北海道大学に提出した博士論文を改稿したものを海外の出版社から刊行するという幸運にも恵まれました。2021年4月より東京大学文学部・大学院人文社会系研究科准教授に採用され、現在に至ります。

現在の仕事・研究内容

北海道大学大学院時代に自分が専門とした、現代アメリカ文学を読みつつ、それがどのように「アメリカとは何か」という問いに取り組んでいるのかという研究については、前任校である同志社大学ではゼミを中心として教育に活かす機会をもらえていました。また、文芸翻訳に関わる機会も得られたことで、現代小説の翻訳も研究の重要な一部になりました。なかでも、非英語圏からアメリカ合衆国に移民したのちに英語で創作するようになった作家たちを翻訳するようになり、そこから人と言語の移動が現代の英語圏の文学をどう変えつつあるのか、という問題も考えるようになっています。現在の職場ではそれを引き継ぐ形で、文芸翻訳を実践するワークショップ形式の授業、東南アジアなどの世界の諸地域で英語で書かれた小説を読解するゼミ、英語圏の移民文学についての講義などを担当しています。

大学院で学んだことは今の仕事に役に立っていますか

僕の場合、大学院で学んだことで役に立っていないことはほぼない、と言っていいくらいです。大学院時代に繰り返し叩き込まれたのは、小説を正確に読み込むことと、その小説に含まれる主題にはどのような意義があるのかを明確に述べることでした。あとになって、小説の翻訳を行うときには、文体やトーンなどを把握しておかねばならず、かつ、翻訳を企画として成立させるためには、その小説の現代における重要性をすっきりと説明する必要もあります。そのどちらも、大学院時代の経験がなければ不可能だったと思います。

また、大学院在籍当時は難解さに頭を抱えて読んでいた文献が、二十年近く経った今になって新しい研究内容に取り組んだり学生にアドバイスを送ったりするときの着想につながることもあります。そうしたことがあるたびに、大学院にいたときにしっかり勉強できてよかったという思いを新たにしています。

今後の目標と夢

大学院にいた二十代は、小説を読解するという作業に没頭していました。三十代はそれに加えて翻訳の楽しさと奥深さにも触れることができました。四十代からはその二つをうまく接続して、英語で書かれた小説が、翻訳という行為を含み込んでしまうケース(たとえば多言語国家であるフィリピンで書かれた英語小説などです)について考えてみたいと思っています。現代文学での「英語圏」は相当広い地域にわたっていて、その背景も、それぞれの作家が発している問いも多様です。それをひとつひとつ考えていくのが今の目標です。

これから進学する皆さんへのメッセージ

北海道大学での大学院生活は、とてもおおらかな環境でした。熾烈な競争に心をすり減らすことなく(とはいえ、成果は次々に発表していかねばならないのですが)、いろんな後押しを受けながら勉強できるという意味でも、とても恵まれた環境です。研究は基本的にフェアで温かみのある世界です。それをみなさんにも体験してもらえることを願っています。

(2021年8月取材)