
1967年紙、木版 77.0cm×47.cm工学部機械科所蔵
どこか一点をじっと凝視する猫を描いた作品である。画面の構図はきわめて平面的で、猫の全身像も白い頭部と直黒の前足、少し淡い黒による後ろ足の3つのパーツで構成されている。足を伸ばして体を起こし、一点を凝視している猫の姿は、場の時間が止まったような緊張感と静寂さを感じさせる。
斎藤 清は1940年代後半から1950年代にかけて、「凝視」を題に、人物や動物の作品を制作している。本作のタイトルである「STEADY GAZE」もまた「注視、凝視」を意味する。それ以後も斎藤 清は《凝視》(1973年)、《競艶》(1973年)などで視線を向ける猫の群像を作品にしており、猫、また猫の視線への関心が伺える。
画面左下には「Kiyoshi Saito」とサインが記されている他、画面下部には「STEADY GAZE (B) 1967 42/100」と、タイトルと制作年、また限定部数における整理番号であるエディションナンバーが記されている。
本作は深沢 正一教授によって工学部に寄贈されたものであり、額側面には「深沢 正一先生 御寄贈 昭和五二年」と書かれたプレートがつけられている。深沢 正一教授は昭和56年から59年の間、機械工学科の主任教授を務めている。
(文学研究科修士二年 町田 義敦)
斎藤 清(1907-1997)
作家略歴
1907年 | 斎藤 清作・ルイの長男として福島県河沼郡坂下町に生まれる。 |
1911年 | 北海道夕張へ移住。 |
1931年 | 上京し広告宣業に従事しながら絵画の勉強をする。 |
1932年 | 白日会第9回展に油彩《高円寺風景》を初出品。初入選する。 |
1936年 | 安井 曽太郎の版画《初姿》に影響を受け木版画《少女》を制作。 日本版画協会第5回展へ出品、初当選する。 小樽、今井呉服店にて初の個展を開催。 |
1939年 | 造形版画協会第3回展に作品を出品、入選する。 小野 忠重に誘われ造形版画協会会員となる。 |
1942年 | 版画による初の個展を銀座、鳩居堂画廊で開催。モノタイプ《洗髪》《御能俊寛》、 木版画《会津の冬》などを発表。中国へ旅行、北京でスケッチを行う。 |
1944年 | 日本版画協会第13回展に《会津坂下》を出品、日本版画協会会員となる。 朝日新聞社に入社、『週刊朝日』の表紙や文字、カットを制作する。 装丁で来社した恩地 幸四郎と知り合い、〈一木会〉に参加する。 |
1945年 | 空襲の激化に伴い家族を会津へと疎開させ、国分寺の朝日新聞社独身寮へ入る。 終戦後、家族を東京へ呼び戻し雑司ヶ谷の義兄のもとに同居させてもらう。 |
1948年 | サロン・ド・プランタン展に《ミルク》を出品、一等賞を受賞。 のちにこの展覧会はアメリカを巡回。 |
1951年 | 第一回サンパウロ・ビエンナーレに日本代表として《凝視(花)》を出品。 駒井 哲郎の《束の間の幻影》と共に在聖日本人賞を受賞。 |
1961年 | 第4回リュブリャナ国際版画ビエンナーレに《Omuro A》《Omuro B》出品。 |
1986年 | 神奈川県文化賞を受賞。 |
1995年 | 平成7年度文化功労者に選定される。 |
1997年 | 11月14日死去、享年90歳。 |
展示ケース
『斎藤 清 版画作品集』阿部出版社 2015年
『生誕 100年 斎藤 清展』福島県立美術館 2007年