第22回 北大人文学カフェ

岐路に立つイギリス
歴史から読み解く現在(いま)

EUからの離脱、スコットランドの独立問題、そして2度にわたる総選挙など、2010年代のイギリスでは、その進路をめぐっての政治的選択がおこなわれてきました。こうしたイギリスの〈現在(いま)〉を考えるためには、歴史的視点が必要となるでしょう。帝国からの撤退、ヨーロッパとの連合という国際関係の変化は、国内におけるスコットランドやウェールズでの地域主義の動きを噴出させてきました。また第二次世界大戦を起点とする福祉国家体制の確立、「英国病」とサッチャリズムの登場というかたちでの二大政党間の政治的コンセンサスの変化。そして、経済成長と移民の流入による階級社会から多文化社会への変容。国際関係や政治・経済のみならず、社会や文化をめぐる複雑な要因が絡み合いながら揺れ動くイギリスの姿を、戦後のあゆみのなかに位置づけていっしょに考えてみましょう。


イベント開催日
2018年07月07日
会場
紀伊國屋書店札幌本店1階インナーガーデン
話し手
長谷川 貴彦(はせがわ たかひこ)
北海道大学大学院文学研究科
西洋史学講座 教授

プロフィール

※プロフィールは人文学カフェ開催当時のものです。

はじめに

今日は「岐路に立つイギリス ― 歴史から読み解く現在」というお話をしたいと思います。イギリスの歴史を見る視点というのを紹介した後その視点に立って2010年代のイギリスの動向について解説します。最近イギリスでは様々な形で日本新聞紙上を賑わす事件が起こっています。例えばスコットランドが英国から独立するのではないか。それに向けて住民投票が2014年に行われました。こちらもかなり衝撃的でしたが、EUからの離脱。こちらも国民投票が行われました。そして2017年、2015年、非常に短期間の内に異例とも言える二つの総選挙が行われました。2010年代のイギリスは政治の季節を迎えていると言えます。この2010年代のイギリスを長期的、歴史的視点によって読み解いてみようというのが今日のお話です。

イギリスを位置付ける4つのサークル

まず、国際関係・外交的な側面からイギリスを位置づけてみましょう。1948年チャーチルが「3つのサークル」という理論を提唱しました。イギリスの外交は「帝国という諸国との関係」「大西洋同盟という関係」「ヨーロッパとの関係」の3つのサークルのリンゲージするところにあり、その輪っかの関係を調整しながら行われているというものです。

脱植民地化によってアメリカに覇権を譲り渡したイギリスですが、独立した植民地とは英連邦という関係性が続いている、これが1つ目のサークルです。2つ目はアメリカとの関係をどういう風に構築していくのかというところ。3つ目はヨーロッパとの関係です。戦後は帝国からヨーロッパに軸足を移してきたものの、イギリスは、ヨーロッパに対して先進的な地位にあるという意識が強い。18世紀以降のフランスやドイツとの戦争を見てもヨーロッパとはややライバル関係というか、敵対の関係にあって、必ずしも自分たちはヨーッロッパの一員であるという強い意識はない。ECやEUへの加盟の遅れ、ユーロという共通通貨を用いていないなどの点で、経済関係でも中途半端な位置に留まっています。また帝国が縮小し3つのサークルの関係性が変わる中で、1970年以降は4つ目のサークルであるところの国内のイングランドとその他の地域との関係に再調整が求められているという歴史の局面を迎えています。

サッチャリズムと階級なき社会

イギリスは二大政党制の国と言えます。戦後においては保守党と労働党。ところが政党が変わってもある程度コンセンサスがあり、その枠組みの中で政治は運営されてきた。1945年から1970年までは、どちらの政党が政権を取っても福祉的な社会民主主義的な政策は変わらなかった。ところがこのコンセンサスは1979年保守党に登場したマーガレット・サッチャーの、サッチャリズム(新自由主義)により崩れていく。

サッチャーは福祉国家の元で人々が労働意欲を失ってしまったという原説を唱えまして、経済に対しては国営化だったものを民営化して、市場経済というものを強調させました。1997年に労働党が返り咲きますが、基本的には新自由主義的なコンセンサスが今日に至るまで政策運営の基本にあると言えます。次に、イギリスは階級社会ということがよく言われますが、貴族階級、中産階級、労働者階級とそれに紐づく伝統的な文化が1950年代までは強固に存在していたと言われます。ところが戦後の経済成長を経て、サッチャー政権における新自由主義的経済の元では、産業の中心が金融やサービス業に変わり、社会の中流化が進んでいく。

そして90年代以降は「階級なき社会」と言われる様になりました。移民社会が形成され、人種や宗教が多様化することにより多文化主義社会への変革が起こった。女性の自立・解放が重要になり、自分たちのアイデンティティを考える傾向が強まってきた。階級社会から多文化主義というのが戦後のイギリスの発展の大きな流れであったと言えます。

分岐点を迎えるイギリス

今までお話してきた流れの中で、2010年代のイギリスを見ていきたいと思います。まず、リーマンショックで財政赤字が膨らんだことに対して、イギリスは緊縮政策をとったため、雇用環境が悪化して格差が拡大していきました。生活保護がカットされて働きに出ようとすると、今までの職が移民たちに奪われている。それで排外主義的な雰囲気が高まっていきます。

そういう中で、スコットランドの自治が拡大し、福祉国家の保持や非核化などを巡って連合国と対立、2014年にスコットランドの独立投票が行われました。結果的には独立反対派が54%を占めて、残留することになった。そして、EU離脱投票がありました。EUの加入に従って、移民が流入し、職を奪われて雇用が消失していく、あるいはEUの財政負担がイギリスの国家財政の重しになる。離脱派はこういう問題点を掲げていました。残留派は貿易、若者の就職、大学の単位互換制度などのメリットを主張し論戦を繰り返しましたが、離脱派が僅差で勝利し、世界を震撼させました。離脱派が多かったのは、かつての労働者階級が住んでいた地域で、残留派は大都市、若者、中産階級などですが、結果には若者の投票率が低かったことが影響していると言われています。

そして、2015年と2017年には総選挙が行われました。EU離脱の交渉を有利に進めるために保守党の議席を増やしたいという名目でしたが、本当の狙いは新自由主義を進めるような政策をやりたいためではないかとも言われました。そこに国民がかなり拒否感を示したため、保守党は後ろ向きな選挙戦を闘うことになり、第一党は守ったものの、実質的な敗北とも言われています。

おわりに

3つの国民投票という政治的な事件を経て、イギリスの歴史的分岐点の意味を考えていきたいと思います。まず、4つのサークルということでは、EUから離脱することで外交的な問題、国内的な問題がどこへ向かうのか。それから政治のコンセンサスについては、新自由主義をより強化していくのか、あるいはもう一回福祉や社会のインフラの再構築という方向に向かっていくのか。また、イギリスでは再び、階級社会が成立してきているのではないかと言われています。これは1950年代の階級社会とは若干ニュアンスが異なるもので、経済発展の元で登場した、社会的な富の殆どを独占するような1%の人々と、それ以外の生活が不安定な99%の民衆との間に生じた溝を中心とするものです。階級社会から多文化主義社会へ、そして再び階級社会になっていくのではないか。こうしたいくつかの意味で歴史的な分岐点に差し掛かっているということが、2010年代に起きた政治的な事件に現れていると言えるのではないかと思います。

話し手からもう一言

大学の講義では、映画やドキュメンタリーなどの映像を交えて、イギリス現代史の話をしています。現代史は、いまを生きるための必須の基礎的な知識ですが、楽しく学ぶことをモットーとしています。卒論でも、みずからの関心に引きつけて、現代イギリスのフットボールやフェミニズムといった研究テーマを選ぶ学生が増えています。

(2020年7月 記)