第20回 北大人文学カフェ

中国のマンガ??? 〈連環画〉世界

豊かなヴィジュアル・カルチャーを誇る中国にも、日本のマンガのようなものがありまして、これを〈連環画(れんかんが)〉と申します。20世紀の初頭に上海で誕生し、全国に広がりましたが、近ごろでは姿を消しつつあります。中華民国時代には、その荒唐無稽な内容のために、政府からは悪書とされました。社会主義中国の時代になると、為政者は、その影響力の強さに目をつけ、プロパガンダの道具として利用し、こんどは良書の代表になりました。政治の風向きで、右に左にと翻弄されていた連環画でしたが、内容はどうあれ、いつも子どもたちを魅了しつづけていたようです。

そんな連環画は、そもそもどんなカタチなのだろう?どんな内容が描かれていたのだろう?どのように読まれていたのだろう?そこには〈?(はてな)〉がいっぱいです。日本のマンガとはひと味ちがう〈連環画〉の世界を、現物を手に取りながら、のぞいてみましょう。


イベント開催日
2017年07月22日
会場
紀伊國屋書店札幌本店1階インナーガーデン
話し手
武田 雅哉(たけだ まさや)
北海道大学大学院文学研究科
中国文化論講座 教授

プロフィール

※プロフィールは人文学カフェ開催当時のものです。

はじめに

今日は中国の漫画の話です。ここの本屋さんにも漫画はたくさんありますね。最近は、日本と中国は、互いにあんまり良いイメージを持っていないようですが、為政者たちのケンカはさておき、私たちは、漫画という中国人の娯楽を通して、中国を読み解きたいと思います。かれらはなにに笑い、なにに泣いているのか、そのようなことを知るために、〈連環画〉と呼ばれる中国の漫画を見ていきたいと思います。

中国の漫画、連環画

〈連環画〉とは何かということですが、要するに連環する画(え)ですね。〈連環〉の〈環〉というのは輪(わ)のことですから、画が鎖のように連続的につながっているという意味です。絵は、人が描いた絵が中心ですが、映画や演劇の連環画であれば、スチール写真の場合もあります。図像(イコン)と文字(テクスト)から構成される小型の読み物ですね。このようなものを〈イコノテクスト〉と言ったりもします。そこに現物があるので見ていただけると思いますが、文庫本よりひとまわり小さいくらいのサイズの横長本で、中身はだいたい1ページに1コマという様式の、漫画、コミックス、絵物語のたぐいです(図1)。

(図1)

では、連環画はどのような内容なのでしょう?1つは物語です。小説とか演劇、映画を原作とした、あるいはオリジナルのお話。もう1つ重要なのが、日本の漫画もそうだと思いますが、いろいろな宣伝です。政府主導の政治的キャンペーン、思想的なプロパガンダ、なんらかの知識の啓蒙などです。これらは、文字だけで学べといっても、なかなか効果的ではないので、漫画形式にすることで、理解しやすくとなるというものです。

そんな連環画は、いつ生まれたのでしょう?物語に絵をつけたり、絵を使ってお話をするという手法は、おそらく世界中で、かなり昔からあったと思います。中国で言えば、14世紀、元の時代に刊行された、全ページ挿し絵入りの『三国志平話』などがあります。何が連環画の始まりかというと、一概には言えませんけど、1920年代に、ページの上に文字を、下に絵を配した〈連環図画〉と呼ばれるものが刊行されました。内容は、おなじみの『三国志』(図2)、『西遊記』、『水滸伝』などですが、このあたりを連環画の嚆矢(こうし)と考えてよいでしょう。

(図2)

影響力が強すぎて政治利用された連環画

国民党の支配下にあった中華民国時期、大量に出版されていた連環画は、カンフーもの、つまり超人的な力を持った仙人やヒーローが、悪と戦うおはなしでした。そこでおもしろい現象がおこりました。1931年のある新聞の紙面をご覧ください。見出しには「五人の児童が仙人を求めていった」と書かれています(図3)。

(図3)

記事を読むと、五人の子どもが、そのような連環画にはまってしまい、本物の仙人に弟子入りしたいとの想いを止められず、ついには家出して山に入り、行方不明になったと書かれています。家に残された所持品からは、カンフーものの連環画が大量に発見されたとも。当時の新聞を読んでいると、このような記事に頻繁に出くわします。私の子どものころは、「マンガばかり読んでいるとバカになる」と言われたものでした。当時の中国でも、連環画の子どもへの悪影響を論ずるものがたくさんありました。

また、当時の中国人は、侵略者としての日本と戦っていました。反日宣伝をするためのビラとかポスターも、連環画の形式で作られていました。

1949年、中華人民共和国が成立します。共産党政権は、それまでの「悪書」を一掃する政策を打ち出します。何千年もの昔から繰りかえされてきた「焚書」が、またぞろ挙行されたのでした。ところがこの時、連環画をすべて消し去ったかというと、そうではありません。国民に、「これからはマルクスやレーニンの本を読みなさい」と言ってもダメなんです。国民のほとんどが、字も読めませんから、だれもついてきません。そこでどうするかというと、古くからの娯楽を重視します。「古い瓶に新しい酒を」という方法を使います。つまり、「古い瓶」というのはお芝居や民謡や連環画のような、庶民が親しんできた娯楽で、これらをつぶすことはしません。ただし、内容はチャンバラじゃなくて、社会主義や共産党を謳歌するテーマにしよう、ということですね。これが「新しい酒」です。おもしろいことに、「良い連環画」を使って「悪い連環画」を消滅させるという方法もとられました。「悪い連環画を読みすぎて身を滅ぼした人たち」を描いた「良い連環画」が発行されることになります(図4)。

(図4)連環画にはまって堕落し、学校にも行かなくなった少年が一度は更生したものの、再び(悪い)連環画にはまって身を滅ぼしていくという「良い連環画」『青年李長寛的堕落』(1956)のひとコマ。
これまで親が決めた人と結婚していた人々が、好きな人と結婚できるようになったという新婚姻法の宣伝のための連環画。すべて離婚してハッピーエンドという結末。

プロパガンダからコレクターズアイテムへ

文化大革命(1966年〜1976年)により、連環画という形式も衰退、変容していきました。文革が終わると、外国のおもしろい文化が、怒濤のごとく入って来ました。その頃、ちょうど中国に行っていたんですけど、カンフー映画「少林寺」が中国で上映されていました。観客たちは、上映が終わり、映画館を出るなり、みんなしてカンフーのマネを始めて、けが人も出たと言われるくらいの人気でした。そんなカンフー映画ブームにあやかって、金儲けをしようとする出版社は、ストーリーも面白くなく、絵もへたくそ、製本も粗雑な連環画を、粗製濫造するようになりました。これは結果として、連環画という文化の衰退を早めることになりました(図6)。

(図6)1980年代にはカンフーものの連環画が粗製濫造されました。これとともに連環画もまた魅力を失っていきます。

もちろん、ちゃんとした連環画もそれなりに奮闘しましたが、その対抗馬として〈マンガ〉というものが隆盛します。ここでいうマンガは、日本のストーリーマンガです。中国の若い読者にとっては、それまでのお説教臭い連環画よりも、日本のマンガのほうが断然おもしろい。この雑誌『画書大王』は、日本のマンガを勝手に海賊版で載せて大人気を博しますが、政府から罰金を食らい、とうとう潰れてしまいました(図7)。

(図7)日本のマンガを海賊版で掲載した『画書大王』。ここからは多くの新時代の漫画家が輩出した。

それでも、若い読者は、社会主義がどうとか関係なく、日本のマンガはおもしろいからと、そっちへ流れていきます。見かねた中国政府は、漫画プロジェクトというのを発動します。これは、何種かの漫画雑誌と出版社を、政府主導で強引に立ち上げるというものです。でも、やっぱり政府主導のマンガなんか、おもしろくないので、誰もついてこない。やっぱり漫画というのは、ちょっと悪いところとか、お行儀の良くないところがあるのが、楽しいんじゃないかと思います。

また連環画そのものも変容していきます。描き手も昔は職人だったんですが、美術大学を出たような芸術家としての自覚を持った画家たちも、連環画を描きはじめます。ただし、これらは〈連環画〉とはいうものの、旧来の様式とは異なり、むしろ「絵本」に近いものになりました。

そして20世紀を駆けぬけた旧来の連環画は、現在ではおおむね衰退し、コレクターアイテムとなっています。

連環画コレクターが出している情報紙『連環画之友』
武田先生の連環画のコレクションは一万冊にも及ぶ。中には、読みまわされるうちに表紙がなくなり、自作の表紙が付けられた連環画も。

まとめ

中国の留学生と連環画のゼミをやると、「こんなものを研究して良いんですか?」と訊かれます。私は、「宇宙にあるものは全て解明されるのを待っている」などとうそぶいています。

私たちのところでは、連環画の総合的研究を継続して、データベースを作ったりしています。一つ一つの作品の分析も大事なんですが、こういうものは、数が多くなればなるほど見えてくるものがあります。博物学的なおもしろさであるといえましょう。これまでに、北海道大学総合博物館や、京都国際マンガミュージアムで、展示とシンポジウムも開催しました。まだ、わからないことだらけの分野ですが、20世紀における中国人の感性の歴史を知る上で、このうえなく貴重な資料だと考えております。

武田先生の研究グループが発行している連環画の研究雑誌。

話し手からもう一言

中国の教育部(日本の文科省にあたる政府の機関)は、2019年10月、全国の小中学校に対して、「違法」あるいは「不適切」な作品を載せた本を、学校の図書館から排除するよう、指示を出しました。こうして、またぞろ、相当数の「悪書」が灰になり、また、なりつつあると思われますが、一部の連環画も、焼却されているようです。もっとも、これは特に驚くべきことではなく、国を問わず、為政者たるもの、折り目節目に行わねばならない行事のようなものでして、「ああ、またか」といったところでしょう。日本でも、さらにいえば、わが北海道も、有害図書指定という形で、似たようなことをやっているわけです。

自分たちに都合の悪いもの、見たくもないものは、焼いて灰にし、土に埋めて、なかったことにして忘れてしまうのが、いちばん平和なのです。ところがこまったことに、人間そのものが持つ〈癖(へき)〉をほじくり返しておもしろがろうというのが、文学の研究——と私は信じています——ですので、私たちのお仕事は、それを掘り返し、復元することにあります。そのためには、連環画のような紙くず同然の本も、戦って守らなければならないわけです。なんのためかと問われたら、とりあえずは、「こんなものを研究して良いんですか?」と素朴な質問をしてきた、かの国の若い人たちのためでしょうか。

(2020年7月 記)