学芸リカプロ受講生レポート特別シンポジウム「文化多様性は何を目指すのかミュージアム考える、新時代」(6/9開催)

文化多様性の時代におけるミュージアムの役割

?田 憲司氏(国立民族学博物館 館長)

沼前 広一郎(北海道大学大学院文学研究科 修士課程2年)

北海道大学学芸員リカレント教育プログラムの2年目の開講と、北海道大学文学院文化多様性論講座の開設を記念して、特別シンポジウム「文化多様性は何を目指すのか-ミュージアムと考える、新時代」が6月9日(日)に開催されました。基調講演を担当された国立民族学博物館(以下民博)館長の?田憲司氏からは人類学とミュージアムにかかわる近年の重要な動向について多岐にわたるお話がありました。

?田氏のお話の中で指摘されていたのは、今現在、我々の時代はミュージアムの歴史において大きな転換点にあるということです。特にアフリカについての展示を事例に、一方的な展示を行うミュージアムから、展示する側とされる側の人々の協働、さらにはそうしてできた展示を観る一般市民をも巻き込んで議論が始まる場としてのミュージアムへの変化がみられることが指摘されました。またご自身が館長を務められている民博の事例として、アフリカ展示の改修や民博が持つ文化資源を広く共有、共同利用化していく試みである「フォーラム型情報ミュージアムプロジェクト」の紹介もありました。

本シンポジウムでは文化多様性について考えるうえで、ミュージアムを一つの枠組みとして設定していました。たしかに、近代的なミュージアムには展示を通して単一のナショナルアイデンティティを作り出す、異文化を自国の観点から一方的に表象するという側面があります。しかし現在のミュージアムはこの性質を踏まえたうえで、より多数の文化、価値、複数の声を展示に反映させようとしています。?田氏のお話はまさにこのことを再確認し、考察を促すものでした。

お話の中で、ミュージアムは文化を表象すると同時に文化を創り出すという指摘もなされました。ミュージアムに複数の声を反映させようとするとき、それは複数の価値が並び立つ文化をミュージアムが創り出しているのだといえます。学芸員リカレント教育プログラムでは「企画力」を鍛え直すことを目標として掲げていますが、学芸員が作る企画が、少なくともその地域の文化を創り出す一翼を担っていることを自覚することが「企画力」に求められるのではないかと思いました。

アートとジャーナリズムの接点、アウトサイダーの視座

鷲田 めるろ氏(あいちトリエンナーレ2019キュレーター)

塚田 真理子

あいちトリエンナーレ2019キュレーターの鷲田めるろ氏に、愛知県で3年に1度開催される国際芸術祭についてそのテーマとアーティスト紹介、現地でのキュレーターとしての活動についてお話をしていただきました。

あいちトリエンナーレ2019のテーマは「情の時代」、芸術監督に津田大介氏を迎え第4回目が開催されます。これまで国内の芸術祭やアートプロジェクトの芸術監督にはアート界からの選出が常でしたが、今回、ジャーナリストである津田氏ならではの、よりアートと社会を結びつけ可視化させようとする試みと、情報発信の手法に新鮮さを覚えました。これは、アートの専門家ではないアウトサイダーだからこそ成し得たテーマと試みだと言えます。

現在、日本社会は様々な転換点を迎えようとしています。高度な情報社会を迎え、その恩恵を受けつつも、ネガティブな部分も持ち合わせているのが情報であると気づき始めています。情報は社会の分断を生み、人の感情を揺さぶり、時に致命傷を与えます。この状況に、アートやジャーリズムは分断ではなく横断、断絶ではなく継続(持続性)を目指すとし、アートとジャーナリズムの類似性に着目していました。これは外部からキュレーターの鷲田氏が現地に赴き、事務所を開設し、地域の人と作家・アートを結びつけ、来場者との交流を目指すプロセスとも似ていると思いました。

参加アーティスであるジェームズ・ブライドルは、認知科学やAIを専門とした科学技術者=アウトサイダーであり、作品「ドローン・シャドー」は今回のテーマとも非常に合っていますし、作品の鑑賞方法に工夫を凝らし多様な解釈ができるよう鷲田氏がキュリエーションを行っていると感じました。文化多様性が目指すのは、最終的には弱っている人や困難に直面している他者に、手を差し伸べ連帯することであり、逆をいえばその手立て(手入れ)を怠ると、人は情報に煽られ操られ、弱者を無視し多様性を失うことになるというお話に共感しました。

文化多様性とは何か ー 北海道大学大学院文学研究院文化多様性論分野の教授3名による応答

谷古宇 尚(芸術学研究室 教授)、小田 博志(文化人類学研究室 教授)、佐々木 亨(博物館学研究室 教授)

大澤 夏美(ミュージアムグッズ愛好家)

「文化多様性cultural diversity」をテーマに、北海道大学大学院文学研究院文化多様性論分野の3名、谷古宇尚教授(芸術学)、小田博志教授(文化人類学)、佐々⽊亨教授(博物館学)による報告が行われました。

まず、イタリア美術史を専門とする谷古宇教授による報告です。谷古宇教授のこれまでの研究を振り返りながら、「美術史」における多様性とは何かを考えさせられる内容となっていました。美術史家のジョン・クラーク氏を引き合いに、芸術が生まれたのも、生命のように偶発的なものなのではないかということ。そして、美術史の文脈とは別に、いくつかの突発的な芸術が発生しては消えていたかもしれないという、「もしかしたらありえたかもしれない美術史」というものの可能性を考え、美術史を再構成することが、多様性につながるのではないかと谷古宇教授は語っていました。

次に、文化人類学が専門の小田教授による報告でした。導入として北海道大学とアイヌ民族の関係に触れ、アイヌコタンがかつて北海道大学の敷地内にあったということ、大切なのは「対話」であり私たちはこの歴史から目を背けてはならない、という点を強調していました。小田教授は一枚の畑の写真を投影し、北インドのフィールドで実施されていたオーガニックファーシングの事例を紹介しました。そこでは12種類の植物を混作しており、単一作物栽培(モノカルチャー)よりも、成長が早く栄養もあると述べていました。そして、単純な環境で画一的に育てることよりも、多様な作物が育つ環境にいた方がリスク管理として生き残る確率も高くなる点を挙げ、それは文化も同様であると述べていました。

最後に、佐々木教授による博物館学の立場から応答がなされていました。ICOMにおける博物館定義の見直しや、ユネスコのミュージアム勧告の中で、博物館の果たす社会的責任がより明確化されていることを紹介し、観光立国推進計画や科学技術基本計画、生物多様性国家戦略など、博物館法よりもその周辺の法律が博物館のこれからの在り方を表すものであると述べていました。そして、ミュージアムにおける文化多様性もやはり「対話」がキーワードであり、せんだいメディアテークの事例を紹介し、「対話」とはやればやるほど互いの違いが浮き彫りになる、しかし「分かり合えないことを知る」それこそが「対話」の重要性を物語るのであると述べていました。

急速に広まる情報化の波の中で技術革新がもたらす社会は、かえって私たちに「分断」をもたらしているのではないかと、私自身の実体験として思うときもあります。そんな中で、この文化多様性論分野の教授3名が述べる「対話」というキーワードが、今後の芸術学、文化人類学、博物館学、そしてそれらを超えた他分野との協働をもたらすことを予感させ、より良い未来とは何なのか、私たちに何ができるのかを考えさせられる報告でした。

パネルディスカッション「文化多様性の実現と維持のために」

川岸 真由子(神田日勝記念美術館)

パネルディスカッションでは、最初に小田博志氏から?田憲司氏に対し、「文化と自然をどう繋ぎなおすか」という話題が振られました。?田氏は「文化と自然とを区別することにより、世界の半分が見えなくなる」ため、文化的な現象を考えるときは、霊長類の枠組みで自然的現象を併せて考えるように心がけていると答えられ、ルネサンス絵画の三角構図の安定感と、チンパンジーが実験で実証した比例分配の安定感との呼応を指摘されました。

続いて、プログラム中に出てきた「モノ・カルチャー」という言葉と、その対義語としての「マルチ・カルチャー」について話題が移りました。小田氏によると、単一の農作物を栽培するより、種を混播して栽培する方が、全体として災害や病気のリスクに対して強く育つことが実証されています。生物多様性から文化多様性、多文化を考えたときに、それぞれの文化の存続のために必要であり、急遽には種としての人類の存続(絶滅のリスク回避)を目的とすると捉えることが出来る、というひとつの結論が示されました。

マルチ・カルチャーの話題を受け、鷲田めるろ氏は金沢21世紀美術館の恒久展示作品の事例を紹介されました。パトリック・ブランが手がけた《緑の橋》は、100種類弱の植物が垂直にたてられた幅15cm程の壁面に生い茂っている作品で、私自身も鷲田氏と同時期に同館に勤務し毎日作品を眼にしていました。鷲田氏は、本作を放置すると植物同士が互いにエリア浸食を始め、強い植物が弱い植物を追いやるため、定期メンテナンスで調整を行う必要があることから、文化多様性もまた自然と維持されるものではなく、外部の超越的な存在(本作の場合は人間)が手を加えることで維持されること、そしてそのために手を加える側にも、弱者を保護し守るという倫理的な意識が必要だと述べられました。他方で、権力者・体制側が単一の歴史を求めることについて、小田氏、吉田氏が触れられました。

ときに耳触りの良い言葉に聞こえがちな文化多様性の実態や目的について、現場的な事例から問題認識を得られる非常に刺激的な機会となりました。