はじめに
北海道大学文学研究院の今村と申します。今日は少し蒸し暑い中、たくさんお集まりいただきまして誠にありがとうございます。限られた時間ではありますが、できるだけ皆さんに分かりやすく説明できるように努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。本日ファシリテーターを務めてくださる岡田さんです。
皆さん、こんにちは。北海道大学文学院芸術学研究室修士2年の岡田冴絵と申します。戦後の女性向け雑誌の分析から美意識の形成を研究しております。先生の研究についてまだ分からないこともたくさんありますので、いろいろ質問しながら皆さんと理解を深めていければと思います。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。普段1人で喋っていると喋りたいことが溢れて歯止めが効かなくなってしまうので、今日は岡田さんから適宜質問をいただきながら進めていこうと思います。
それでは早速進めてまいります。『「お静かに!」の誕生』という本を書きましたので、それに基づいたお話をしてまいります。
皆さんも美術館に行かれるかと思うのですが、美術作品・芸術作品をどのような場所や環境で鑑賞するのが望ましいとお考えでしょうか?
一方で、「鑑賞は、少なくともある程度までは、静かで落ち着いた雰囲気で行われるべきだ」という考え方があります。作品をきちんと味わったり理解したりする上で、静けさは欠かせないという考えです。
もう一方で、「鑑賞はもっと賑やかに行われてもいいのではないか」という考え方も近年強くなってきています。ミュージアムは学びの場であると同時に楽しみの場でもあるのだから、他の誰かと自由に語らってもいいのではないかという考え方ですね。せっかくですので、岡田さんはどちらが良いなどありますか?
じっくり鑑賞したい時と、友達と対話を深めながら鑑賞したい時とどちらもあるのですが、美術館だと特に「静かにしなければいけない」という雰囲気が強いため、他のミュージアム、例えば動物園や水族館などとは少し異質なのかなと感じています。
今言っていただいた中に大事なポイントが2つあります。1つは「1人の人の中に、静かに見たい欲求と誰かと喋りながら見たい欲求の両方がある」ということ。もう1つは「水族館、動物園、科学館、文学館、歴史博物館など様々なミュージアムがある中で、なぜ美術館という場においてこれほど静けさが求められるのか」ということです。
もし、静かに見たい人と賑やかに見たい人が同じ絵の前で出会ってしまったらどうなるでしょうか。小説や映画であれば自分の家でも鑑賞できますが、本物の美術作品はただその1箇所にしか存在しません。つまり、いわば「同時接続数」が極めて少ないアートなのです。その中で静かに見たい人と賑やかに見たい人が出会ってしまったらどうなるか、ということを考えて作ったのがこれらの本です。最初に『「お静かに!」の文化史』、1年後に『「お静かに!」の誕生』という本を出しました。
「誕生」というタイトルに込めた意味ですが、そもそも昔は「静かに鑑賞する」という文化自体が存在しなかったのではないか、ということです。
「静に鑑賞する」文化がなかった江戸〜明治初期
現代の私たちにとって「美術作品を鑑賞する」という行為は当たり前ですが、江戸時代から明治時代に移り変わる時期にみんながそれを理解していたかというと、決してそうではありませんでした。美術館や展覧会というシステム自体が極めて近代的なものですし、「鑑賞」や「作品」「美術」という概念そのものが近代になって作られたものだからです。例えば、屏風絵や襖絵は日常で使うものであり、仏像などは拝むものでした。そういったものをすべて「美術作品として鑑賞する」という行為自体が、明治に入ってから始まったのです。
近代以前(明治以前)の鑑賞に先立つ文化としては、どのようなものがあったのでしょうか?
近代的な博物館・美術館に先立つものをこのスライドに挙げてみました。左上の「正倉院のような保存の場」は鑑賞の場ではないので今回のお話から外します。明治以前には、普段見せない仏像や仏画を見せる「居開帳」や「出開帳」、庶民も気軽に楽しめる「見世物」というものがありました。また一部のエリートたちが楽しんでいた「書画会」「展観会」「茶の湯」などがありました。ここで注目すべきは、庶民が楽しむイベントだけでなく、一見静かそうなエリートたちの書画会や展観会も、「声や飲食を伴う場」であったということです。
当時の展観会を説明した文章を見ると、文人や画家が集まって、掛軸を壁の上に掛け並べて終日眺めて楽しんだ後、「酒や馳走を尽くして話し合う」ことが楽しみの一部になっていました。見るだけで満足するのではなく「これがいい、あれがいい」と言い合うことが重要だったのです。また、書画会ではお酒を飲みながら絵を描いたり見たりしており、喧嘩が起きるほどの賑やかさでした。飲食禁止どころか、同じ場所でお酒を飲みながらにぎやかに行われていたのです。

茶の湯でも、千利休の弟子が書いた本(『山上宗二記』)によると、「お茶の席では、世間の雑談 ―宗教や財産、他人の悪口などのゴシップ― はせず、茶道具や掛け軸など美術・芸術の話(数寄の話)をしなさい」と書かれています。
芸術談義というとエリート層のイメージですが、逆に、当時の庶民たちはどのような鑑賞を楽しんでいたのでしょうか?
庶民たちは見世物系のイベントを楽しんでいました。その見世物の雰囲気を引き継いているのが、例えば明治5年の博覧会です。
これを描いた浮世絵を見ると、洋服の人、和服の人、髷を落として断髪した人、まだ髷を結っている人など様々な人々が集まっています。
口を大きく開けておしゃべりをしている人もいます。
大勢の人出で、ギッシリと人が詰まっている様子が描かれています。
この最初の博覧会で既に生きたサンショウウオなどの生き物も今で言う水族館のように展示されており、子どもたちが勝手に餌をあげて賑やかに楽しんでいました。

浮世絵の中央に描かれた女性が口を大きく開けており、その口の中が鮮やかな赤色で塗られています。これはアニリンという顔料で、これを使うと明治の新しいイメージを表せました。これは『「お静かに!」の誕生』の表紙にも使った絵です。
この絵からも会場内の騒々しさや「おしゃべり」の様子が伝わってきます。現代の美術館で言われる「お静かに」とは程遠い世界です。また、ここには子どもからお年寄りまで世代を超えて様々な人が集まっていました。現代の美術館は、子どもが入りにくい雰囲気がある場合もありますが、この博覧会の時点では子どもも普通にいました。
「静寂」が求められるようになった背景
時代が進み、明治23年(1890年)の「第三回内国勧業博覧会」になると、100万人を超える入場者が集まりました。当時の新聞の挿画を見ると、身分の高そうな人物が田舎から出てきた高齢者にタバコの火を貸している場面や、貴婦人の隣で田舎から出てきた高齢者が談笑している場面など、普段は出会わない異質な人々が混ざり合って交流していたことが分かります。
「田舎から出てきた人」というのは、当時どのように見分けられていたのでしょうか?
当時の新聞記事によると、見分け方は2つありました。1つは「服装」が変わっていることです。赤い毛布をかぶっていたり、汚い格好をしていたり、泥のついた靴を履いていたりする様子が白い目でみられることがあったのです。新聞記事では「不快であり妨害だ」と冷ややかに書かれているものすらあります。
そしてもう1つが「声が大きいこと」です。雑踏の中で大きい声で話したり驚きの声を上げたりすることが「田舎者」の証拠とされていました。少し「お静かに」の要素が出てきましたね。
世代や身分を超えて楽しまれていた一方で、冷ややかな目で見られていた側面もあったのですね。
まさにその「冷ややかな視線」こそが「お静かに」の誕生に非常に重要となります。お互いを冷たい目で監視し合う構造です。
第三回内国勧業博覧会の開場式の図を見ても、身分によって席が決まっていました。赤枠で示すように、段の上中央に天皇皇后両陛下、右に大臣、左に海外からの貴賓、有爵者は大臣の後方に位置しています。一方で、青枠で示した一般官吏は段の下の土間に、黄枠で示した出品人はさらに遠くに着席させられ、身分により席が厳格に分けられていました。
しかし実際にはそれが入り乱れ、混ざり合ってしまいます。青の奏任官が赤のゾーンに入っていったり、青のゾーンと黄色のゾーンが混じってしまったりしました。
招待されて綺麗な格好をしてきた人が「出品人に服や靴をめちゃくちゃにされた」と苦情を言ったり、皇族が来られる場であるにもかかわらず「大声で笑い、禁煙を守らずタバコをふかし、パンや焼き芋を取り出してむしゃむしゃ食べている。これでは芝居小屋や寄席と変わらないではないか」と批判する新聞記事が出たりしました。ここで重要なのは、「博覧会は格が高い場所であり、芝居や寄席とは違うのだ」という意識が1890年頃に生まれ始めていた点です。
そうして「不必要にうるさくしないことが教養のある良い態度だ」という意識が形成されていきます。この態度が作品の見方にも入り込んでいきました。
特に話題となったには、亀井至一が出品した《美人弾琴図》という作品です。当時の新聞記事によると、「多くの人が立ち止まって見ているが、これは単に俗受けが良いだけだ。描かれている対象=美人に見とれるのではなく、空間構成や絵画としての質をちゃんと見なさい」という批判が起こります。
絵を見る「教養」が生まれ始めました。『「お静かに!」の誕生』から抜粋します。
「美術作品の前は今や分断されているのである。一方には、亀井至一の《美人弾琴図》のような美麗な作品の前に集まり、描かれた美人に陶然と魅了される人たちがいる。けれども他方には、このような見方を「俗」だと考えて距離をとり、その熱狂に冷ややかな視線を浴びせかける人たちもいる。博覧会の会場で、田舎者たちのふさわしくない身なりやふるまいが白い眼で見られていたように、絵画を俗な仕方で受容する人たちは、同じような白眼視の対象となるのである。」
「作品の見方には、高尚なものと低俗なもの、優れたものと劣ったもの、正しいものと誤ったものの区別が生じている。このような区別は娯楽に始まり娯楽に終わるような見物小屋の場とは考えにくい。いったい誰が、見世物小屋の陳列品の楽しみ方に、高低や優劣や正誤を持ち込んで冷水を浴びせかけたりするだろうか。しかしながら、博覧会という場では美術作品の享受がどこか特別な鑑賞体験だと考える人たちが増加してくるとき、そのような区別が浮上してくる。」
「文展」から「名作展・美術館」へ
さらに時代が進み、明治40年(1907年)から公募展の「文展(文部省美術展覧会)」が始まります。入場者数が回を追うごとに増えていき、1912年の第6回には1日あたり4,000人以上が訪れるほどの大人気で、動物園(1日あたり2822人)を遙かに凌ぐ人出でした。今は動物園のほうが人気ですが、当時は「猫も杓子も争って文展へ行く」「話題にできないと仲間外れにされる」と言われるほどでした。
文展の会場外観と会場平面図を示します。日本画、西洋画、彫刻、休憩室といったエリアに分かれています。展示室内に盆栽が置いてあったり、外からから光が差していたりするところが今の展示室とは少し異なります。
この頃には会場内には決まりとして「陳列品に触らないこと」「秩序風俗を乱す場合は退場」「静粛にすること」が掲げられてきます。このような決まりは実際にはあまり守られていませんでした。混雑で押し出され、土の床からは砂塵が舞い上がり、ジョウロで撒いた水もすぐ乾いて土煙が立つような粗悪な環境でした。
また、関如来という新聞の美術記者の報告によると、会場内の騒々しい様子や群衆が溢れて通路を塞いでいる様子、作品を見るより群衆に押し出されて行く様子が語られています。大声の会話や方言でのやり取りが飛び交っており、記者がそれらを聞き取って「文展立聞き」という記事にできるほど、誰もがはっきりと喋りながら鑑賞していました。
芸術作品と鑑賞について
文展の雰囲気を紹介いただきましたが、そもそも文展とはどういった性質の展覧会だったのでしょうか?
皆さん、日展は聞いたことがあるでしょうか。文展は日展の前身のようなものです。一つ重要なことして文展は「公募展・団体展」です。入選や賞をめぐる「競争・戦い」であり、「お祭り騒ぎ」や「デパートの売り場」のような熱気と賑やかさがありました。
これに対して、次第に「公募展ではないタイプの展示」、つまり「名作展」や「美術館」という構想が生まれていきます。お祭りや競争ではない、公募展とは異なる別の鑑賞の場を作ろうとしたのです。
昭和2年(1927年)に行われた「明治大正名作美術展覧会」では、ギリシャの神殿の入り口を思わせるような、立派な会場で展示が行われました。当時、竣工したばかりの東京府美術館です。
このような場所で人は徐々に黙るようになってきます。この時の新聞記事の見出しには「巨匠の神品を前に声をのむ七千人」と書かれています。人々が出そうとした声を呑み込み、静かになる現象が起きたのです。
「魂を奪われる」画家、「名作の気品にうたれて沈黙勝ちである」美術家志願の若い男女のようすが展覧会として「珍現象」として報じられました。偉大な芸術作品を見ていると人々は皆声をのみ息を凝らし厳粛な態度で鑑賞するので「場内は海底のような緊張した静けさ」と表現されました。
ルールで禁止されたから静かになったのではなく、神殿のような会場と「名作である」という前提のもとで、作品に圧倒されて自然と人々が静かになっていったのです。このような名作展や美術館がだんだんと勢いを増していきます。
現代の美術館での展覧会と、文展などの展覧会はかなりイメージが異なっています。現代の美術館では、例えばフェルメールや鳥獣戯画のように「既に価値が定まっている名作」を見るとき、人は静かになります。一方で、文展のような公募展や現代アートのように「価値がまだ定まっていない、これは何だろう?と問いかける作品」は、どうしても人々の声を誘発します。現代の私たちが現代美術を見て思わず語り合いたくなるのも、かつての文展などの熱気と通じるものがあると言えます。
人や月や花を見るときに、1人で見たいか誰かと見たいかは自由です。しかし芸術作品の場合、「どの見方がより正当で、優れていて、本来的なのか」という問いが深刻に立ち現れてきます。
同じ事態を逆から表現するならば、語り合い(賑やかさ)と沈黙のどちらがより良いアプローチなのか、という問題が真剣に問われてしまう存在こそが近代以降の「芸術作品」なのです。つまり芸術作品というのは、いい見方、本来的な優れた見方があるのではと皆が思っているということです。
ご清聴いただき、誠にありがとうございました。
話し手からもう一言
今回は美術作品の鑑賞についてのお話でしたが、私たちが行う研究活動においても、「沈黙/静粛」と「対話/語らい」の両方に意義があると思います。
研究には、周囲から邪魔をされない孤独な時間がどうしても必要です。ただ、それだけでは行き詰ってしまうことがありますから、誰かと話し合って、着想のヒントを得たり、フィードバックをもらったりすることも欠かせません。
人文学カフェはその意味で、私自身にとっても貴重な「語らい」の時間でした。
そういえば、もとより「カフェ」という場そのものが、沈黙と語らい、両方を可能にしてくれる空間ですね。
関連書籍
「お静かに!」の誕生
近代日本美術の鑑賞と批評
今村信隆(著)
文学通信 2025年
ISBN: 9784867660935
定価: 本体価格2,700円+税
書香の森 出版社のページ
「お静かに!」の文化史
ミュージアムの声と沈黙をめぐって
今村信隆(著)
文学通信 2024年
ISBN: 9784867660706
定価: 本体価格 1900円+税
書香の森 出版社のページ
文学館を旅する
全国の作家・作品ゆかりの地をめぐる
今村信隆(監修)
イカロス出版 2025年
ISBN: 9784802215770
定価: 本体価格 1800円+税
書香の森 出版社のページ
プラス・ミュージアム
地域文化資源としての博物館論
卓彦伶、今村信隆、佐々木亨(編)
水曜社 2026年
ISBN: 9784880656007
定価: 本体価格3,200円+税
書香の森 出版社のページ


































