企画展示「中根 孝治と田辺 至の作品」

中根 孝治(1888-1975)

山形県に生まれる。東京美術学校で日本画を学ぶ。1921年から北海道帝国大學予科で図画の講義を担当する。以後、予科以外にも工学部や理学部で教鞭をとり、約43年間の長きにわたり、本学において教育と研究に専念した。

1925年の北海道美術協会(道展)や、1928年の蒼玄会の設立にも参加しており、北海道美術史の黎明期を支えた人物の一人とも言えるだろう。本学においては、黒百合会に参加し、学生にデッサンやクロッキーの指導を行っていた。

展示作品

≪第二農場≫キャンバスに油彩、制作年不明、69.5×80㎝、大学文書館所蔵

夕暮れの第二農場を描いたものだろうか。白みがかった茶色が多く見られる一方で、ところどころに鮮やかな黄色・橙色・水色がアクセント的に、踊るようなタッチで用いられている。のどかな農場の風景であるのに、にぎやかな印象を与える作品である。

この作品は、北海道帝国大学名誉教授であり、メンデルの法則を日本に初めて紹介した人物として知られる星野 勇三氏(1875~1964)が所有していたものであったが、星野精一氏によって、2011年に大学文書館に寄贈された。

田辺 至(1886-1968)

東京に生まれる。実兄に京都学派の哲学者田辺 元を持つ。東京美術学校西洋画科で黒田 清輝に師事し、在学中第一回文部省美術展覧会(文展)に入選、1910年に卒業した後はひきつづき研究科に進み、助手をつとめた。1914年、二科会創立に関わるが、翌年には離れ、文展・帝展に出品を続けた。1919年、美術学校助教授となる。1922年から2年間渡欧し、1928年からは美術学校教授となった。以後、1944年まで後進の指導に当たる。戦後は鎌倉に住み、美術団体には属さず過ごした。

田辺 至の作品は、初期の黒百合会の展覧会を通してたびたび紹介され、北海道の美術界に影響をもたらした一人だと言えるだろう。

展示作品

≪札幌農科大學附属農場写生≫板に油彩、1913年、23.5×32.5㎝、大学文書館所蔵

画面上で絵具を混ぜるような、つやのある厚塗りの画面が特徴的である。絵具が厚く塗られているのに対し、画家のサインはとても細い字で描かれている。暖かみのある色彩で描かれている。

北大にこの作品を寄贈したのは、北大OBの梁田 政方氏である。元々は政方氏の伯父で、北大OB・作曲家の梁田 貞氏がこの作品を所有していた。貞氏が田辺 至の絵を入手した経緯については未だ不明だが、この二人は交友関係にあったため、田辺 至が貞氏に絵を贈ったものと考えられる。政方氏は、父親の梁田 滋氏が伯父の貞氏から譲り受けた本作品を受け継いだとのことである。