国際シンポジウム「新渡戸稲造とこれからのグローバル化」開催されました

3月21日、東京駅に隣接するステーションコンファレンス東京を会場に大学院文学研究科主催国際シンポジウム「新渡戸 稲造とこれからのグローバル化―『武士道』と国際人―」が開催されました。207名の方にご来場いただき会場は満員、同時中継した北大文系6番教室にも73名の方にお越しいただき、シンポジウムの模様を視聴していただきました。

 
nitobe_1_8.jpg

本シンポジウムは文学研究科の国際性・多様性について、広く学内外に発信することを目的とし、はじめて道外(東京)で開催するものであり、第1部「国際人新渡戸稲造」では、国内外から新渡戸研究者を迎えて、新渡戸稲造の思想、国際性などについて検討し、第2部「人文学研究のグローバル化とその可能性」では、国際的に活躍中の卒業生を交えて文学研究科・文学部のこれからの国際化について討論するものです。なお、本シンポジウムは、文部科学省の平成25年度研究大学強化促進事業の支援を受けて開催されました。

第1部の一人目であるミシェル・ラフェイ氏は、「国際化」という場合に外国の人や文化と積極的に交流するという「積極的国際化」と、密かに進む「消極的国際化」の2つがあるとした上で、「消極的国際化」の方がはるかに多く起っていると指摘します。「消極的国際化」の例として、内村鑑三が働いていたペンシルバニア州の病院に患者の療養のために敷地内の林に道(後に「内村ロード」とよばれる)を作ったことや札幌農学校のウィリアム・ペン・ブルックスがアメリカに日本の大豆を持ち帰ったことなどを紹介しました。「消極的国際化」は、結果や影響を制御できないもので、これに対してより敏感になる能力を身につけることこそ、国際人への第一歩になる、と結びました。

 
nitobe_1_1.jpg

次にトレント・マクシ氏は、新渡戸 稲造の『武士道』のアイディアが19世紀欧米で盛んに論じられた騎士道(Chivalry)から影響を受けたと考えられること、新渡戸は、日本人と欧米人をつなぐ通訳の位置に自分を置いていたと考えられると言います。また、現代人は『武士道』を反面教師として読むべきだ、と提言しました。その理由として身分制の問題を抜きにして武士という一握りの集団の特性を日本人論としていること、「国民国家」を創出するという目的をもつという歴史的な制約があることをあげました。

 
nitobe_1_2.jpg

三人目の権 錫永氏は、新渡戸は『武士道』において日本人論を深い洞察の上に「弁護士」として西洋に向けて発信したと指摘します。ところが、1906年に朝鮮を旅行した時に書かれた「亡国」、「枯死国朝鮮」ではまったく違うということを指摘します。新渡戸の日本文化論では、日本社会に存在するあらゆる習慣や考え方が優れて意味あるもの、価値あるものとしてすくい取られていますが、その一方で朝鮮を論じる時には、対象に対する配慮・やさしさ・柔軟さが微塵も感じられない、と言います。その上で、新渡戸は領土的膨張の欲望を持ちつつも世界主義的な傾向も強く持ち、当時の論壇では「中道派」とみなせると評価しました。

 
nitobe_1_3.jpg

第2部では、まず、グローバル人材とはそもそも何なのか、が話題になりました。日本企業には外国の大学を卒業した人を「アメリカナイズされている」などと見て、歓迎しない傾向があること、留学それ自体を目的にしても意味がないということ、が指摘されました。また、英語が重要視されていることについても、国際会議は英語で話すということは決して自明のことではないこと、自国語にこだわる国際人もたくさんいること、自国語を深く学ぶこともグローバル化にとって重要だということが提言されました。

 
nitobe_1_7.jpg

このパネルディスカッションでは、いま現在、われわれが直面している問題を取り上げながら、真の国際化とはどういうことなのか、グローバル人材を育てるとはどういうことなのか、文学研究科・文学部ができることは何なのか、について多面的な視角から論じることができました。登壇者および参加者の間に広く共有された結論は、「異文化」「他者」に対する態度の重要性ということでしょう。これからの大学院文学研究科の教育・研究においてこのことを念頭に置きつつグローバル化への対応を果たしていくことが求められています。

 
nitobe_1_5.jpg
第2部パネリストの日野 峰子さん(会議通訳者)とコーディネーターの曽根 優さん(NHKアナウンサー)、ともに北大文学部の卒業生
nitobe_1_6.jpg
第2部パネリストの白木沢 旭児文学研究科教授
nitobe_2.jpg
北大会場の同時中継のようす