企画展示芽吹く新緑のニレ

shoko_1604_1

書香の森の企画展示が更新されました。今回は、大学本部事務局総長室にて展示されていた富樫 正雄の作品です。

shoko_1604_02
富樫 正雄(1913-1990)
(キャンバス、油彩、1987年、52.5×45.0cm、大学本部事務局総長室)

青々と葉をつけた、新緑の楡を描いた作品である。楡の大木が画面全体を覆うように枝を広げ、多くの葉を茂らせたその姿からは強い生命力が感じられる。画面右側から左上に向けて伸びる道路によって奥行きがつくられている。何色もの緑で塗り重ねられた楡の葉は柔らかな印象を与え、地面にかかる影が芝生の青さを強調している。

描かれた場所は理学部南側のエルムの森、博物館側から農学部を望む景色である。画面左側には木々の間から赤い建物が見え、現在の北大出版会事務局の建物である。また画面中央にも農学部の時計塔がうっすらと見える。画面裏には「芽吹く新緑のニレ 1987.5.5  m.Togashi」と記されている。

富樫 正雄は1968年以降、北大構内の楡やポプラを描いた作品を制作しており、エルムショップにも《ニレ》が展示されている。

富樫 正雄生誕90周年を記念して2003年に開催された回顧展の呼びかけ人の一人に、当時の中村 睦男北海道大学総長が名を連ねている。本作品は、その縁から2004年に遺族から北大へ寄託されたもので、普段は総長室に飾られているものを今回特別に借用した。

(文学研究科芸術学専修修士一年 町田 義敦)

富樫 正雄(1913-1990)年譜

北海道小樽市出身。幼少の頃から絵の道を志し、14歳の時に道展へ出品し入選する。東京美術学校に進学するが、大学側との対立から退学する。退学後は小樽に戻って兄の楽器店を手伝いながら制作を行い、道展や文展に出品、入選を果たしている。戦後はリアリズムに傾倒し、日本美術協会の創立に参加、また大月源二たちと共に北海道生活派の活動を展開し、炭鉱美術サークルなどの指導にあたる。

1959年に小樽市富岡町から札幌市手稲町に移り住み、以後は手稲山など手稲の風景を多く描いた。また長女が勤めていた北海道大学にも足を運び、キャンパスの風景、特に楡の木を描いた作品を多数のこしている。

togashi

略年譜

1913年 北海道小樽区(現小樽市)の海産問屋に生まれる
1927年 小樽市立中学(現永橋中学)校の二年生の頃から北海道美術協会展(道展)に出品し、入選する。
1932年 東京美術学校(現東京藝術大学)に入学。二年在籍するが、大学生徒課と対立し退学。小樽に戻り、兄が経営していた楽器店の手伝いをしながら絵を描く。
1941年 第四回文部省美術展覧会に《少年》出品、入選
1943年 道展(小樽地区展)に《自画像A》を出品。北海道美術協会賞受賞。第一回聖戦美術展覧会(旭川師団主催)で旭川市長賞受賞。
1946年 日本美術協会の創立に参加。
1947年 小竹 義夫、森本 三郎、大月 源二と共に日本美術協会北海道支部結成に参加。第一回からアンデパンダン展開催。以後39回までほぼ毎回参加。
1949年 第3回北海道民主美術展で民主美術賞。
1959年 小樽市から札幌市手稲町に転居。
1969年 初個展「富樫 正雄油絵個展」(丸善ギャラリー)開催。この頃から北大の楡を描いた作品を多く制作する。
1982年 画集『四季』出版。
1990年 7月9日、永眠。77歳。
2003年 生誕90周年記念回顧展を「光と叙情の画家」(大通ギャラリー美術館)「サンタルベツ川のほとりで」(富樫 正雄アトリエギャラリー)「北辺に生きたリアリスト」(市立小樽美術館)の三回にわたって開催。
2013年 生誕100周年記念回顧展が市立小樽美術館で開催。