【学芸リカプロ】「くみたて和室×煎茶のコラボレーションイベント」9/22受講レポート

特論1:くみたて和室×煎茶のコラボレーションイベント

受講生 塚田 真理子

北海道大学工学院建築デザイン学研究室が取り組む「くみたて和室」と、文学や芸術を語り合うサロン文化を継承する「煎茶一茶菴」とのコラボレーションによって、一日限りで展開する「場」において、そこに集った人が、美について語り・体感するというイベントでした。

いつからともなく、何もないところに土台が組まれ、柱が立ち、軒が出るまでの一連の工程が、まるで一つの展示が作られるエキシビションを見ているかのようでした。小澤氏は、くみたて和室の目的として、永続性のある構造物ではない、質素で簡素な、人の営みが良いかたちで展開する「場」を作ることだとしました。そして、仮設性・空間の連続性・五感で味わう材料・その時代にあった技術を用いることをテーマに、宮崎県の杉材、持ち運びができるパーツを家具用の金具を用いて組み立て、6センチ角の細い材4本で空間を立ち上げた2畳分の「場」を提案します。

小澤先生(写真右から2人目)がくみたてプロジェクトの解説を行う中、
工学院建築デザイン学研究室の学生さんたちがチームワーク良くくみたて和室をしつらえていきました

続いて、完成したくみたて和室の中に煎じる方が座り、佃氏が前に立たれて、中国から伝来した煎茶が、江戸中期以降の芸術家らによって「文人趣味」として広まったことを説明されます。次に、くみたて和室に一畳分の壁がたち1本の掛け軸が掛けられ、その画の所以や意味が参加者に問いかけられ、これは何を描いたものか、場所はどこか、季節や時刻はいつかと質疑が展開します。次に、追加されたもう一枚の壁に絵と対応した漢詩の掛け軸が掛けられ、その解釈へと進みました。解釈に正解はないとしながらも、それぞれ参加者が答えた後に、じつはこうですと佃氏から明かされ、参加者がはっとする瞬間が何度もありました。そしておもむろに煎茶が差し出され、玉露の味覚とあいまってその場に居合わせた人と、美や煎茶についての愉しみを共有するという時間でした。その後、くみたて和室の撤収により「場」は無くなり、余韻が残るなかでのアフタートークとなりました。

今回の講義で大きく2点について考えました。ひとつは、「場」が作られてそして無くなるまでの一連を見せることで、より「場」について考えさせられたことです。頼れる設備や、なにかに固定されケースに囲われた空間ではない、縦横が自由な仮設の「場」。そんな展示室がつくれるものだろうかと発想しました。

もうひとつは、ミュージアムにおける解釈・解説についての再考です。万人にわかりやすくが求められるあまり、その対極にある大事なものを傷つけていないか。“あなたにはわからない(実経験にない世界)”について、五感をフル稼働しその空白を想像力で埋めるゆっくりとした時間。経済性・効率性・即効性を優先するあまり、佃氏の言う本当の「愉しみ」というものを展開できていないミュージアムの現場について改めて内省しました。

小樽芸術村 山田 菜穂

「くみたて和室」は、2名程度で約15分で工具を使わずに組み立てることができる和室です。「煎茶」は、江戸中期より文房(書斎)において文人たちの間で行われた茶道で、元は中国から流入した文化でした。

今回の講義では「くみたて和室×煎茶」と題し、「異分野のものごとを融合させる企画運営力」について、北海道大学工学院教授 小澤 丈夫氏と、煎茶一茶庵宗家 佃 一輝氏よりお話をうかがうことができました。

「くみたて和室」には(1)「仮設性」(2)「空間の連続性」(3)「材料」(4)「この時代の材料、技術を用いること」という、4つの重要な要素があります。

佃氏の煎茶席の実演では、そのくみたて和室によって作られた「場」に掛け軸をかけ、そこを古典や美術をめぐる語らいのためのしつらえとしました。語らいの中で、時にはそこを掛け軸の中の世界、もしくは竹かごで茶道具を持ち出した野外、そして最後にはそのくみたて和室の撤収をもって、荒涼とした景色が広がる草原と次々に違った場所に見立てていきましたが、これらはくみたて和室のもつ要素、特にその簡素さや建物の内側と外側を曖昧にする「仮設性」や「空間の連続性」と相性がよく、また相乗効果もあったように感じられます。

実際に実演終了後のふりかえりでは、小澤氏と佃氏の両氏ともに、「くみたて和室×煎茶」「工学×文学」というようにそれぞれのアイデアが掛け合わされることによって、新しい発見が多く得られたとお話くださりました。

アフタートークで語り合う小澤先生(写真左)、佃先生(写真中央)、司会の学芸リカプロ・今村先生(写真右)

今回の事例のように、異分野のものごと融合させ、そしてそれをさらに一歩先の次元へ昇華させること、それができるかというところで、学芸員の企画力が問われてくるのだと思いました。