野村 恭史

プロフィール

野村 恭史 助教 / NOMURA Yasushi
研究内容

ウィトゲンシュタイン哲学を出発点に、言語と論理の哲学を研究している。

研究分野
現代分析哲学(特にウィトゲンシュタインの哲学)
キーワード
現代分析哲学、ウィトゲンシュタイン哲学
文学研究院 所属部門/分野/研究室
人文学部門/哲学宗教学分野/哲学倫理学研究室
文学院 担当専攻/講座/研究室
人文学専攻/哲学宗教学講座/哲学倫理学研究室
文学部 担当コース/研究室
人文科学科/哲学・文化学コース/哲学倫理学研究室
連絡先

研究室: 202
Email: yasnom*let.hokudai.ac.jp
(*を半角@に変えて入力ください)

研究生を希望される外国人留学生(日本在住者をふくむ)は、「研究生出願要項【外国人留学生】」に従って、定められた期間に応募してください。教員に直接メールを送信しても返信はありません。
関連リンク

Lab.letters

Lab.letters 研究室からのメッセージ
哲学倫理学研究室野村 恭史 助教

どこにもラベル付けできない
知のカオスが生む深遠な営み

ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、こんな一文から始まります。「世界とは成り立っていることのすべてである」。一体何のことだと思う人もいれば、この単純にして深遠な命題にとらわれていく人もいるでしょう。哲学とはある種の”知的病”です。日頃その乗り方を深く考えずに自転車を乗り回しているように、”日常言語がなぜ使えてしまうのか”という疑問につまずく人は皆無のはず。ところが、日常言語から派生するさまざまな問いかけに一度気づいてしまうと、見過ごすことができなくなる。論理学や数学、物理学、医学など、どこにもラベル付けできないカオスの中に、哲学という知的な営みが息づいています。

野村先生が学生時代に購入した『論理哲学論考』。「自分が対峙する世界の全体を一つの視点から理解しようとする試みに圧倒されます」
オーストリアの田舎町キルヒベルクで毎年行われる国際ウィトゲンシュタイン・シンポジウムの会場から見える美しい景色。2010年夏に参加した際、発表の合間に撮影

専門領域に閉じこもらない
伝統の自主ゼミで磨く議論の力

北海道大学の哲学倫理研究室は、私が学生の頃から自主ゼミが盛んです。自分の学位論文に欠かせない一冊を原文で読みこみたい、と周囲に声をかければ、意欲ある仲間が集いやすい伝統が今も続いています。参加者全員の研究テーマが違ってもこの異種混合からなる議論の場は、成長の糧。専門領域や思考の方向性がまったく異なる者同士でも楽しく有益な交友関係を持てるおおらかさは、開放的な空間に広がる北海道大学ならではの魅力です。哲学は単なるテキストの解釈ではなく、自分の頭で深く考え、それをみずから生きていく学問です。人生のどの場面でも求められる「考える力」を育みます。

(聞き手・構成 佐藤優子)

メッセージ

ニーチェは、哲学といういとなみを「愉快な学問」とよびました。たしかに哲学は楽しい。わたしの場合その楽しさは、第一に、論文を書くという行為に集約されます。画家が絵を描き、作家が小説を書くように、わたしは論文を書きます。哲学研究に従事している者(のおそらくは多く)にとって、論文とは作品であり、研究生活の大部分は、よい論文を書くために費やされていることでしょう。必要な材料を手元に集め、それらをさまざまに組み替えながら、最初の着想をもっとも効果的に提示するために、時間をかけて構想を練り、全体を一つのストーリーへとまとめ上げていきます。時間を要することもあれば、そうでしかありえないというようにあっという間にできあがることもあるこの過程の楽しさ。よいと思えるものができたときのその達成感。

第二の楽しさは、哲学について語り合うことにあります。わたしが好きなのは、あまり形式ばらない自主ゼミや酒の席などで、互いの哲学的?近況報告を交えながら、おもしろいと思えるさまざまな学説について忌憚なく意見を交し合うひとときです。そういう機会に、自分の知らなかった有益な情報や、自分の研究の方向性にかんする思いがけないヒントをもらったり、それまであいまいだった自分の考えがはっきりしたり、自分のまちがいに気づかされたり、等々といったことがよくあります。そういう意味では、研究室内の人と人とのつながりが強く、自主ゼミと酒の席がまさに日常?でさえある北大の哲学・倫理学研究室は、哲学を学ぶのにうってつけの場所ではないかと思っています。

教育活動

授業担当(文学部)

  • 哲学演習

授業担当(文学院)

  • 近現代哲学特別演習