内容紹介
マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』には一つの殺人事件が描かれています。でも、その犯人は明かされません。どうやらトウェインは、事件の真実を追究すべきか否か、深刻に悩み抜いたようです。執筆も数年中断して、ハムレットのように悩みました。何がそんなに難しかったのか、本書はそれを解き明かす試みです。
著者からのコメント
文学の研究って、いったい何なんでしょう。「小説の中の未解決殺人事件を解き明かしたって、何の役にも立たないではないか。ずいぶんお気楽な話だね、いっそ探偵にでもなって本当の事件を解決したら?」との声も聞こえてきそうです。
しかし、現実の出来事であれ、小説内の出来事であれ、私たちは常にあらゆることを解釈しながら生活しているはずです。世界や人間も幾通りにも読み解くことができ、そして下手に読み間違えると、私たちは大きなダメージを受けます。経済の趨勢を読み違えれば、投資に失敗して大金を失うでしょうし、恋人の仕草や言葉を勝手に解釈すると、精神的な痛手を受けます。後にはつらい結婚生活が待っているかもしれません。週刊誌の広告の見出しを読み解くだけで世界情勢を判断する政治家がいたら、国民全体が悲惨な目に遭うでしょう。小さな記事、町の声、今に至る歴史等々、様々な文脈を注意深く解釈してくれねば困ります。小説の読み解きも似たようなものです。
いや、小説の方が簡単だろうって? 私もそう思います。でも、『ハックルベリー・フィンの冒険』のようにこれまで世界の何億もの人々が読んできた本でさえ、まだまだ読み落としがあるのです。その本で未解決にとどまった殺人事件が実は解決出来るように様々な伏線が書かれていたことさえ、気付かれぬまま百三十年も経ってしまったのですから。よき読み手、あるいは解釈者になろうとすることは、私たちの永遠の課題かもしれません。
この本の元になったのは、私が英米で最近発表した学術論文です。洗練されていない英語で書かれた日本人の論文が、アメリカの国民作家像を変化させられるかどうか、海外の研究者からの反応も私は楽しみにしています。
外部リンク
・〔出版社〕新潮社の紹介ページ
・阿部公彦東京大学准教授による書評(『波』1月号)