2014.12.15

現象学という思考

〈自明なもの〉の知へ
著者名:
田口 茂
文学院・文学研究院教員:
田口 茂 たぐち しげる 教員ページ

内容紹介

現象学の入門書。われわれの日常において、本当に「確か」なものは、あえて「確か」だと主張されることはない。本当に確かなものは、むしろ「自明」なものとして、われわれの経験の底に沈んでいる。そこには、自明であるがゆえにいつも素通りされている経験の世界が広がっている。それをあえて明るみに出そうとするのが現象学の営為である。本書では、現象学の創始者フッサールの思考を参照しながら、それを超えて、現代のアクチュアルな思考の営みとして現象学を捉え直すことを試みている。

著者からのコメント

本書は、現象学の入門書ですが、「現象学の全体像を上空から見下ろす」ような本ではありません。むしろ、地上を這うように、現象学的思考という土地──その細かな起伏の幾つか──を実際に歩いてみることを提案しています。現象学という哲学には、そのように実際に遂行してみて、はじめてその趣旨がわかるというところがあるからです。
 表現はできるかぎりわかりやすくするよう心がけましたが、内容のレベルは下げていません。現象学の始祖・フッサールの思想の概説にとどまらず、その先の諸問題まで論じています。今後現象学が進むべき道について、私自身が考えるかなり先端的な解釈までを含めたつもりです。
 われわれが日頃意識している現実は、実はきわめて一般化されたダイジェストのようなものにすぎません。その背後では、圧倒的に豊かで具体性に満ちた現実が、湯水のように受け流されています。それは、あまりに「あたりまえ」であるがゆえに、かえって気に留められることなく、素通りされています。しかし、この根源的な「あたりまえ」の世界、自明性の世界が、すでに原初的なロジックをもって立ち現われていることを、現象学は明らかにします。われわれが明示的に意識している現実は、いつもすでにこの隠れた原初的なロジックを前提して成り立っているのです。
 この隠れた現実を探究するには、遠くに赴く必要はありません。いまここに、物が物として立ち現われていること、「あれ」と「これ」が「同じ」である、あるいは「異なる」ということ、私が私としてはたらき、他人に出会うということ、こうした何ということもない身近な現象が、現象学の眼差しにとっては、汲み尽くしえない圧倒的な驚異として立ち現われてきます。そのような眼差しを共有していただくこと、それが本書の第一の目論見です。

【刊行後の反響】
・文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」にて紹介されました。
 2015年3月16日〜

・以下の大学等の2016年度入試問題としてこの著書が使用されました。
  立命館大学大学院法務研究科
  立命館大学・立命館アジア太平洋大学
  龍谷大学
  北星学園大学
  國學院大學
  お茶の水女子大学
  大阪大谷大学
  南山大学
  三重大学
  日本女子大学附属高等学校
  関西大学高等部
・以下の大学等の2017年度入試問題としてこの著書が使用されました。
  佛教大学
  京都文教大学
  福山大学
  大阪桐蔭高等学校

〔関連イベント〕プラス1ピースの読書会 Vol.5 開催案内開催報告

ISBN: 9784480016126
発行日: 2014.12.15
体裁: B6判 270ページ
定価: 本体価格1,600円+税
出版社: 筑摩書房
本文言語: 日本語

〈主要目次紹介〉

序章 「確かさ」から「自明なもの」へ
第1章 「確かである」とはどういうことか?―「あたりまえ」への問い
第2章 「物」―流れのなかで構造をつかむということ
第3章 本質―現象の横断的結びつき
第4章 類型―われわれを巻き込む「形」の力
第5章 自我―諸現象のゼロ変換
第6章 変様―自我は生きた現在に追いつけない
第7章 間主観性―振動する「間」の媒介
終章 回顧と梗概