内容紹介
柳宗悦の朝鮮のための「愛の仕事」、移植された桜、文化的欲望をかき立てる博覧会・・・・・・、そこに引き起こされた闘争・贈与・受容・敗北・創造。複雑に織りなされた植民地の文化の力学について、本書はその織り目に、今日に至る朝鮮の人々の屈折した思いと心理を浮かび上がらせ、「民族の物語」からの転回を見透かす。
本書は、「民族の物語」に贈る讃歌であり、挽歌である。
著者からのコメント
「自らの卑小感なしに、他人の表現に関わる編集・出版などできはしない。また、自らの飛翔感なしに、他人の表現に関わる編集・出版などできはしない。」
本書を上梓するにあたってお世話になった北海道大学出版会の竹中英俊さんが、SNSに書いた言葉です。出版業に携わって半世紀の大ベテランの思いにふれて、一瞬凍り付きました。この仕事人を、私はどのぐらい本気にさせることができたんだろうか、と沈思させられたわけです。
さて、本書を出す私の思いをお伝えしましょう。
「帝国主義の時代、支配する側と支配される側の歴史はからまりあっていた。だが、その時代を記述し認識するとき、経験は一国史として切り取られ、対立する二つの陣営においてしばしば異なるものとなり、正反対の意味をもつことさえある。それ―例えば、朝鮮で開かれた博覧会が主催者側と朝鮮の言論の間で全く違うものとして認識もしくは主張されていたことを思い起こそう―を、エドワード・W・サイードは「乖離する経験」と呼び、それを乗り越えていくことの重要性を説いた。・・・・・・敵対関係を超えていくためのオルターナティヴを考案したいというサイードの思いは、そのまま、本書をまとめる筆者の思いでもある。」(本書の「終章」より)。
原稿を仕上げる段階で、私は自分の心の中のキーワードを探り当てることができました。「心をほぐす」、です。本文はもちろんのこと、「あとがき」にも、こんな大それたことは書けないと諦めた言葉です。どれだけ成功したかはおぼつかないですが、本書を読んだ読者に、いくらかでも思い当たるところがあれば幸いです。
「私たちは(日韓)両国の関係の歴史を白黒の論理でとらえることに慣れきっている。そこには乾いた歴史の「認識」があるだけで、心を揺さぶられる痛みも感動も、そして驚きもないのではないだろうか。白黒の論理から解き放たれてこそ歴史をめぐる豊かな感性が得られ、本当の意味での知の世界も開けてくる。」(本書を教科書として採用した本学の教養科目のシラバス(権担当)より)。
前述の「心をほぐす」という意識とも通じるところがありますね。心を揺さぶられる痛み・感動・驚きを我が物にすることができる「歴史をめぐる豊かな感性」を育むことに、私は今チャレンジしています。そして学生たちには、日韓の歴史に閉じこもらず、できるだけ思考を開いて「普遍的な思考」をするように仕向けています。
本書を読まれる一般の読者にも、両国の複雑に入り組んだ歴史を理解し、しかしまた、そこに閉じこもらず、もっと広い世界へと思考を開いていただきたい。それが私の願いです。
外部リンク
〔出版社〕北海道大学出版会の紹介ページ