内容紹介
人生の終わりを、どう迎えるのか?高齢多死社会を迎えた日本において、「よく生き、よく死ぬ」ことを支えるケアの実践と宗教の役割を、看護学、宗教学、社会学、社会福祉学の専門家が臨床社会学の視点から描き出す。
著者からのコメント
私は、この数年間、ウェルビーイングの研究を行い、特に宗教とウェルビーイングとの関係について考察を深めてきました(拙編著『ウェルビーイングの宗教社会学-しあわせの宗教社会学』北海道大学出版会、2019年、拙編著『ウェルビーイングの社会学』(北海道大学出版会、二〇二二年))。その間、保健医療・社会福祉領域の先生方とも臨床社会学的研究を進め(2019-2022年 基盤研究B「高齢多死社会日本におけるウェルビーイングとウェルダイングの臨床社会学的研究」(課題番号19H01554))。この共同研究の成果をまとめるのに少し時間を取ってしまいましたが、ようやく一冊をまとめることができました。
この調査研究に先立ち、2017年頃からウェルビーイングとウェルダイングの研究会を始め、二、三ヶ月に一度の研究会を重ねて科学研究費の助成を得ることができました。そして、本調査に入ろうとしたところで2000年からコロナ禍となり、二年ほどオンライン研究会を継続しました。外部に調査活動に出ることができずとも、多くの研究者に専門的知見を語ってもらうことができたし、分担研究者・協力者、および関心のある市民の方にも参加いただくことができました。十数回に及ぶこれらの研究会の成果を直接書籍に盛り込むことはできなかったのですが、章を担当した研究者の血肉となりました。調査研究が難しい時期に、各章の担当者は研究を継続してくれました。コロナ禍は隔離と孤立を招きましたが、人間同士がつながることで乗り越えることができたのではないかと思います。
さて、本書は、『ウェルダイングの臨床社会学』と題しておりますが、ウェルダイングに死への旅路とあえてルビをふったのは、現代の死の臨床が、人生の最終期、死の前後、葬送儀礼やグリーフ、追悼のフェーズに限定されすぎてはいないかという問題意識からでした。本書の最後に収められた2024年「死の臨床研究会 北海道大会」で開催されたシンポジウムの記録「生老病死と向き合う現代仏教―ウェルダイング(死の臨床)のてまえにあるウェルビーイング」に、筆者自身の個人的な問題意識を端的に述べさせてもらっていますし、筆者のセカンド・ライフとも言えるお坊さんの仲間に登場してもらっています。
人として生老病死を避けることができない以上、老いの局面(老年期の過ごし方、過ごす場所、見守る人たち)、病の局面(医療のあり方、ホスピスケアのあり方)、死者を思いながら生きること(グリーフケアのあり方)は、誰にとっても人生の課題になります。ウェルダイングとは、長寿化社会において10年、20年の期間をもって徐々に進行する「死への旅路」ではないかとも考えます。
生老病死とどう向き合うのか。この問題に関わるのが医療関係者だけでよいのか。当事者や自助グループの役割は何か。日本の仏教やキリスト教、中国の仏教はどう対応しているのか。本書ではこれらの問いに答えるような事例を多く盛り込むことができました。
外部リンク
【出版社】法藏館の紹介ページ