2023/2/28

ひらがなの天使 

谷川俊太郎の現代詩
著者名:
中村三春(著)
文学院・文学研究院教員:
中村 三春(名誉教授) なかむら みはる

内容紹介

1952年の『二十億光年の孤独』発表以来、70年にわたって日本の代表的詩人として活躍する谷川俊太郎の詩について、現代アートの観点から読み直しを試みる。谷川はこの間に次々と詩の形式や発表形態を変様させ、革新を企てながらも、詩的発語の動機として、一貫して沈黙と言葉との対峙する場を見つめ続けた。本書はその営為の全貌を、美術や音楽との関わりに注力して論じている。その際のキーワードは、作品や事象からの、触発による創造(creation by contact)である。

著者からのコメント

谷川俊太郎は、ほぼひらがなのみによって語られたひらがな詩を多数書いている。ひらがな詩は『ことばあそびうた』(1973)の頃から本格的に作られるようになったが、これは同時期に谷川が、レオ・レオニの絵本やマザー・グース詩集のシリーズなどをひらがなで翻訳したことが契機となった。また、『定義』(1975)、『コカコーラ・レッスン』(1980)、『日本語のカタログ』(1984)など、1970年代から80年代にかけての詩集には、百科事典や他人の文章など、既成のテクストを引用し、それをパロディやパスティーシュ(文体模倣)の形で作品化したものがある。これは、現代芸術におけるシミュレーショニズムや流用アートに近く、引用やモンタージュの形で既成のテクストを自らのテクストに導入する手法と言える。

 ところで、谷川の詩集『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(1975)に収められたひらがな詩「ポール・クレーの絵による『絵本』のために」連作11編は、パウル・クレーの絵に寄せた作品である。これはその後、20年の時を経て、クレー作品の挿画と詩とを組み合わせた詩集『クレーの絵本』(1995)の中に、他のクレー関連の詩とともに組み込まれた。同じ年に谷川は、詩集『モーツァルトを聴く人』も上梓したが、これには所収作品の谷川自身による朗読と、モーツァルトの曲とを交互に配した音楽CDの附属した版もあった。いずれも、クレーおよびモーツァルトの作品からの触発によって作られた詩集である。

 そして、その5年後に、『クレーの絵本』の続編として、今度はクレーの天使画の図版と、すべて新作のひらがな詩を収めた『クレーの天使』(2000)が刊行された。画家パウル・クレーは、難病のため亡くなる1940年の前年に、憑かれたかのように多数に上る天使シリーズの線描画を描いた。そこには、タイトルに天使と入っていなければ単純に天使には見えず、また神と人間とを仲介する神の使いであるキリスト教の神とも異なる、きわめて独特の人間的な天使の姿があった。谷川はこの詩集において、言葉によってのみ許される否定性と、また言葉が世界をとらえることはできないとする言葉そのものの不可能性という、初期から培ってきた自らの詩的様式を、クレーの天使画からの触発による、超絶的なひらがな詩として結晶したのである。

 本書は、詩集『クレーの天使』を、他のテクストによる触発・接続の要素と、谷川の詩が発語の瞬間をとらえる独特の様式としてのひらがな表記とが厳しく切り結んだ一つの頂点をなすものとしてとらえた。それとともに、音楽愛好家でもあったクレーが、絵画論にも導入した対位法およびポリフォニーの手法が、同じく音楽愛好家である谷川にも影響を与え、反復(リフレイン)や倒置法などの形で詩の構造や文体を作った経緯も明らかにしている。総体として、美術・音楽・文芸の各領域にまたがって、現代アートと様々に交錯した、現代アートとしての詩として、谷川俊太郎の詩の読み直しを試みたものである。カバーおよび挿画にクレーの天使をあしらった、瀟洒な本に仕上がっている。

ISBN: 9784909544308
発行日: 2023/2/28
体裁: 46判・272頁
定価: 本体価格2700円+税
出版社: 七月社
本文言語: 日本語

〈主要目次紹介〉

序 沈黙と雑音
─谷川俊太郎の現代詩

第1章 言葉の形而上絵画
─谷川俊太郎『六十二のソネット』
第2章 現代芸術としての詩
─谷川俊太郎『定義』『コカコーラ・レッスン』『日本語のカタログ』
第3章 翻訳とひらがな詩
─谷川俊太郎のテクストにおける触発の機能
第4章 ひらがなの天使(上)
─谷川俊太郎『モーツァルトを聴く人』『クレーの絵本』『クレーの天使』
第5章 ひらがなの天使(下)
─谷川俊太郎におけるクレーとモーツァルト
第6章 挑発としての翻訳
─谷川俊太郎の英訳併録詩集『minimal』
第7章 発語の瞬間を見つめて
─谷川俊太郎『ベージュ』など

跋 絵本『ぼく』のまわり