内容紹介
本書は近松門左衛門の世話物浄瑠璃を主に考察したものですが、視野を広げて近松の「画像辞世文」、『難波みやげ』、近松作品と同題材を扱った紀海音の世話浄瑠璃をも対象としました。また、『仮名手本忠臣蔵』は近松と海音の両者とも扱った題材であり、忠臣蔵集大成としての作品として取り上げました。また、「絵尽し」と呼ばれる資料について、絵の構図と読み進め方の方法を考察したものも含めました。
著者からのコメント
2004年3月に『海音と近松―その表現と趣向』(北海道大学出版会)を上梓しました。本書はその続編並びに補遺といった位置づけになります。できればそちらも併せて御覧頂ければ幸いです。さて、大学での授業で学生の皆さんと近松の世話浄瑠璃を長年にわたって読んできました。大変楽しい時間を過ごさせて頂きましたが、近松と触れ合う時間が長くなりますと、それとともに少しずつ作品に馴染めるようになっていった気がします。やはり研究というものは急いで成果を挙げようとしても思うようは行かず、じっくりと時間をかけた上でするのが良いように思います。例えば「第五章 『女殺油地獄』考 ―与兵衛はなぜ蚊に喰われたか―」について言えば、『近世文学研究事典』(桜楓社、1986年4月)で『女殺油地獄』の項目を担当させていただいたことが考える契機となったものです。当時はまだ大学院の学生でした。原稿を書くために研究史を辿る際は、正解のない問題のように思われた記憶があります。それから折に触れて何度も考えたのですが、全く分からないままでした。ところが、もう一つ「第二章 『浄瑠璃/文句評註 難波みやげ』考 ―執筆過程と評注の問題を巡って―」を書く前に、この本の全文を改めて翻字してみました。その時、近松の言説として掲載されている発端部(いわゆる「虚実皮膜論」)に加えてみるべき一文を見いだしたことがありました(因みに「難波土産」も『近世文学研究事典』で担当させてもらいました)。その文言を色々と考えているうちに、近松の表現により注目することになり、与兵衛の問題と絡めて考えるきっかけになった訳です。分からないことは、そこで諦めてしまうことなく、粘り強く考え続けることが大切であることに改めて気付いた出来事でした。
外部リンク
〔出版社〕新典社の紹介ページ