2022.12.25

ゲルマン語歴史類型論

著者名:
清水 誠 著
文学院・文学研究院教員:
清水 誠 しみず まこと 教員ページ

内容紹介

英語・ドイツ語に片寄らず、60余りの現代語・古語・方言のデータをもとに、古今のゲルマン諸語の構造を歴史言語学と言語類型論の観点から体系的に分析した論集です。拙著『ゲルマン語入門』(日本独文学会賞受賞)では扱えなかった現代ゲルマン諸語の文法現象を中心に、属格と所有表現、形容詞変化、「割れ」と短母音化、動詞接頭辞、名詞抱合、後置定冠詞を取り上げています。

著者からのコメント

巻末の「あとがき」に記したように、本書はこれまでに発表した論文をもとにしています。ただし、単なる再録ではありません。どの章も大幅な加筆・修正を施し、内容的充実を期していますので、別個の新しい論考とも言えるかと思います。

ゲルマン諸語は近世以降の日本の歩みにとって、重要な役割を果たし続けてきた外国語です。オランダ語は鎖国下の江戸時代に蘭学の土台を支え、ドイツ語は明治期の近代国家建設の精神的基礎となり、英語は現代社会に必須の意思疎通手段として広く習得を求められています。日本人としてゲルマン諸語に取り組む意義は、格段に大きいと映るかもしれません。

しかし、言語学の対象として見た場合、ゲルマン諸語はけっして特筆に値する存在ではありません。アメリカの言語学者 B. L. ウォーフ (Benjamin Lee Whorf 1897~1941) が指摘したように、伝統的に言語学の主たる関心はいわゆる「標準ヨーロッパ言語」(Standard Average European, SAE) に向けられ、ゲルマン諸語はその中心を占めています。世界の諸言語に関する知見は不当に歪められ、蓄積されてきたとする批判もあります。

本来、言語学の理念は言語それ自体の本質の探求にあるはずですが、自然言語を語る場合に特定の個別言語への言及は避けられません。こうした本質的な問題意識とは裏腹に、筆者は経済的事情から進路を選びました。そして、言語学の優れた先輩諸氏を差し置いて、今では望むべくもない当時の趨勢に乗じて、首尾良く定職を得たのです。今でも、このことは後ろめたく感じています。本書の執筆で脳裏を過ったのは、軽薄な動機への反省と世界の諸言語に対する畏敬の念の交錯でした。

ゲルマン諸語の特色は、第一に社会言語学的多様性にあります。国際語としての地位を確立した英語から、ユネスコの危機言語に指定された北フリジア語、ザーターフリジア語に至るまで、その社会的地位は世界のどの言語群よりも格差が激しいのです。言語学を修めるには最適と言いがたい独文科の門を早々に離れ、南・中部・北ドイツ、オランダ、スウェーデン、アイスランドの各地で学び直す経験を得たことは、本当に幸いでした。そこから得たものは、マイナーな言語を中心に据え、ゲルマン諸語全体を見渡そうという問題意識でした。重い課題ではありましたが、新鮮な気概で学問の戸口に立ち、改めてヨーロッパの言語文化の奥深さを認識することにつながりました。

言語の構造に貴賤はありません。外国語学習の真の意義は、広い意味での異文化理解にあるとされますが、実際には政治的・経済的利得が最優先され、マイナーな言語の持つ意義はほとんど看過されるのが実情です。それどころか、近年、大学で行われる学問のあり方についても、真理の探求から実利追求に大きく舵を切る傾向がにわかに強まってきた雰囲気を感じています。第1章の冒頭に挙げた Fortunately, scholarly and political conferences have nothing in common. という標語は、プラハ学派を代表するロシア人言語学者ロマーン・ヤーコブソン (Roman Jakobson 1896~1982) の言葉です。じつは、原典の論文 Linguistics and Poetics での意図を正確に汲んだ引用ではなく、いわば換骨奪胎なのですが、若い頃から気に入っている文言です。力強く格調高い筆致の中に芸術的香りも湛えるヤーコブソンの種々の論考からは、バッハやベートーヴェンの音楽から受けるのにも似た霊感や励ましを繰り返し感じてきました。

カヴァー図版に用いたのは、『大ハイデルベルク歌謡写本 (マネッセ写本)』に収められた詩人ヘンドリク・ヴァン・ヴェルデケ (Hendrik van Veldeke)/ハインリヒ・フォン・フェルデケ (Heinrich von Veldeke) の肖像です。ベルギー、オランダ、ドイツの隣接地帯で、現在のEU誕生の契機となったマーストリヒトないしハセルト近郊に12世紀後半に生まれ、中世オランダおよびドイツ宮廷文学の最初期の巨匠と称えられています。前者はオランダ語、後者はドイツ語での呼び名ですが、オランダ語リンブルフ方言の表記を加えれば、Heinric van Veldeke となります。同地は歴史的に帰属先の国がめまぐるしく変遷しました。つまり、複数の言語圏で中世文学の元祖・本家争いを呼ぶ歴史的人物ということで、本書の趣旨にふさわしいと考えて選んだ次第です。掲載にあたっては、北大出版会の編集者、川本 愛さんに上記の写本を所蔵するドイツ・ハイデルベルク大学図書館に依頼の上、使用許可を取っていただきました。大学出版会としての学術的良心が感じられる采配であり、改めてお礼申し上げます。

私事にわたって恐縮ですが、筆者は伊豆の三島市近郊の町に育ち、富士山を眺めながら少年期を過ごしました。小中学校の校歌、小学3年の時に制定された静岡県歌には、その雄姿が謳われ、幾度となく斉唱を求められました。それから半世紀余りが過ぎた今、周囲に肩を並べる峰もなく、孤独にたたずむその風貌には、往時とは異質の感慨を覚えます。大学に入りたての頃、出身高校の校長先生の紹介で、後に日本言語学会会長を務められたウラル語学・言語学の小泉 保先生 (1926~2009) を静岡市大岩のご自宅にお訪ねしたことがあります。日本の学問は富士山のようなものだ、高い山が1つそびえるだけではだめで、その空白を埋めるのが自分の仕事と思っている、と語られ、別れ際には、二十歳にも満たない当時の若者に向かって、「こういう話なら、私は何時間でもいいんだ」と言われたにこやかな姿が、今でも忘れられません。

ISBN: 9784832968868
発行日: 2022.12.25
体裁: A5判・340頁
定価: 本体価格9,000円+税
出版社: 北海道大学出版会
本文言語: 日本語

〈主要目次紹介〉

第1章 本書の構成およびゲルマン諸語の分類と発達

第2章 ゲルマン諸語の属格と所有表現の歴史類型論的考察

第3章 ゲルマン語形容詞変化の歴史類型論的考察(1)――強・弱変化の変遷、古ゲルマン諸語、ドイツ語

第4章 ゲルマン語形容詞変化の歴史類型論的考察(2)――北ゲルマン語

第5章 ゲルマン語形容詞変化の歴史類型論的考察(3)――西ゲルマン語(1)

第6章 ゲルマン語形容詞変化の歴史類型論的考察(4)――西ゲルマン語(2)

第7章 ゲルマン語歴史類型論から見た西フリジア語の「割れ」と「短母音化」

第8章 ゲルマン語歴史類型論から見た西フリジア語のbe‐動詞と中高ドイツ語のge-動詞

第9章 ゲルマン語歴史類型論から見た西フリジア語の名詞抱合と関連現象

第10章 北ゲルマン語後置定冠詞の歴史類型論的考察