内容紹介
人文社会科学の古典としてあまりにも有名な論考「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を含む、マックス・ヴェーバー『宗教社会学論集』(原著で全3巻)の第1巻前半を新たに訳出したもの。あえて直訳的な翻訳方針を採ることによって、著者の思考の具体的なありようを詳細に再現することを目指す一方、小見出しを付し、詳細な巻末索引を載せることによって、読者の読解を助ける工夫を凝らしてもいる。
著者からのコメント
この翻訳は原著で全3巻から成る『宗教社会学論集』全体を個人で全訳しようという企ての第1弾であり、今後まだまだ続く(続けなければならない)企画ですので、現時点ではまだ途中経過の報告ということになりますが、そもそもこの翻訳をしようと思うに至ったきっかけとしては、いくつかありますがその中でも、私が北大に着任したその同じ2013年に全学教育で実施した演習科目のことが思い出されます。
まさにヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読む読書会的な演習を行なったのですが、面白がって活発に発言する意欲的な学生諸君がいた一方で、この本ぐらいだとちょっと難しいのかなあと思わせる反応を示す学生諸君もいました。今回、新たな翻訳をする過程で頭の片隅にあったのは、どちらかと言えば後者のタイプの学生諸君のことです。難しい本を読む演習にそもそも参加するのですから、意欲はあるわけなので、その意欲をそこなうのでなく、むしろ意欲に応える形で、難しい本を難しいけれども読みこなせるものとして提供できないものか。成功しているかどうかわかりませんが、少なくとも翻訳における私自身の意図は、この点にありました。
そしてその結果としての工夫が例えば、原文にない小見出しを多数つけ、そしてその小見出しを目次に掲げ、それによって小見出し自体を読むことができるようにすることです。議論がどういう方向に進んでいるのかが良くわからなくなってきた時には、ぜひ目次に立ち返って、小見出しを読んでみてほしいと思います。そうするとそのうちに、議論の方向性が次第に明確になってきて、一見込み入っているように思える著者の議論が一体何を論じているかが、より一層明らかになるはずだと期待します。
もう1つの工夫は詳細な索引です(当初もっと薄くなるかと思っており、まさか索引だけで80頁を超えるとは、私自身夢想だにしませんでした)。索引の使い方はもちろん色々ありますが、例えば自分の気になった用語があれば、それを索引で探して、それが文中でどう使われているかを集中的にチェックしてみると、ただ単に本を最初から最後まで読んだ場合とは異なる発見があるかもしれません(実は私も、ヴェーバーの著作に関してこれほど詳しい索引は他で見たことがないので、どうやってこれを使おうか、自分自身、頭の中であれこれ試行錯誤している状況にあります)。
ヴェーバーという学者が偉大な学者であることは言うまでもなく、その偉大な学者による有名な著作として、学生諸君は(仮に私の訳によるのでなくとも)在学中にぜひ一度手に取って読んでみてほしいと思います。ただ、そう言った上で付け加えれば、いくら偉大な学者であっても、さすがに今から約100年前に活動した学者の所説がそのまま無傷で残るはずはないわけであり、学生諸君は単にこれを読むだけでなく、読んで抱く疑問や思う自分の感想といったものも大事にしてほしいと願います。
私自身も学生時代にこの本を(当時はいわゆる梶山・大塚訳によって)読んで、いろいろ考えさせられ、知的関心をそそられたことを思い出します。良書は読者を知的に挑発してくれるものであり、その意味では間違いなく、本書(特に「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)は良書であるはずです。その良さを、私の翻訳の仕方によって大きくそこなわずに読者に提供できていれば、とひたすら願うばかりです。
外部リンク
〔出版社〕北海道大学出版会の紹介ページ