ヤコプスケリンアルテミス

プロフィール

ヤコプス・ケリン・アルテミス 特任准教授 / JACOBS Kerrin Artemis
研究内容

批判理論、精神医学の哲学、孤独研究、道徳哲学
主な研究トピック:批判理論と精神障害の現象学
最近の研究トピック:コーポレート・エージェントの「道徳的無能力」を再考する

研究分野
実践哲学と文化省察
キーワード
社会的病理、道徳的動機づけ、うつ、医療倫理
文学研究院 所属部門/分野/研究室
人文学部門/哲学宗教学分野/哲学倫理学研究室
文学院 担当専攻/講座/研究室
人文学専攻/哲学宗教学講座/哲学倫理学研究室
文学部 担当コース/研究室
人文科学科/哲学・文化学コース/哲学倫理学研究室
連絡先

Email: kjacobs*let.hokudai.ac.jp
(*を半角@に変えて入力ください)

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Lab.letters

Lab.letters 研究室からのメッセージ
哲学倫理学研究室ヤコプス・ケリン・アルテミス 特任准教授

意味のある関係性とは?

哲学者のセーレン・キルケゴールは、著書『死に至る病』のなかで、人間を関係的にあるものとして的確に描いています。人間は関係的にあるものとして、自分自身を他者や環境全体と媒介していなければなりません。私たちはつねに、自分が主体となっている関係の表現でもあるのです。そうなると、人間であるということは、「他者とともに世界の内にあること」を、可能的なものと現実的なものという(しばしば衝突し合う)諸領域における、およそ思考可能なあらゆる形態の意味形成という形でモデル化することを意味します。哲学的に探究されうるのは、まさしくこのような諸関係と、それらを形づくることなのです。

人間は、たとえば、病気や疎外感、孤独感、喪失感、不道徳といったかなり問題のある仕方で自分自身や他者たちや世界と対峙していますが、そのような関係の分析にとりわけ関心がある場合には、いくつかの学問的アプローチをとることができます。精神医学の哲学の観点からは、たとえば、自己−世界関係におけるある種の変化を現象学的にどのように把握すれば、うつ病などの特定の病気をよりよく理解できるのか、といったことが問われます。医療倫理の観点からは、医師−患者間のよい関係とは実際どのようなものであるべきかが問われますし、組織倫理の観点からは、たとえば人間と仕事場との関係が探究されたり、適切な危機管理という点で、将来にわたって「よい」組織とは結局どのような性格をもつべきなのかが問われたりします。ある視点から得られた洞察は、しばしば他の分野で新たな問いを提起し、こうした問いによって、今度は異なる分野の視点をあてはめてみる必要が生じてきます。要するに、自己・他者・世界への関係(の変化)に関する問いは、しばしば「どうすればよい生が送れるか」という問いなのであり、これは、私見によれば、哲学の領域内部で多分野的(multidisciplinary)な視点から取り組まねばならない問いであり、また、他の諸科学と交流しつつ学際的(interdisciplinary)な視点から取り組まなければならない問いなのです。

自分との関係、他者との関係、世界との関係を、どのようにすれば「よい」と呼べるようなものへと形づくることができるのか? このような問いを立てる場合、どのような価値や規範を採用したいか、幸福やよき生についてのどのような考え方を採用したいかによって答えが変わってきます。これもまた哲学です。すなわち、肯定的な意味で普遍的に妥当する答えは存在しないという洞察に耐えること、これも哲学なのです。だからこそ、私が自分の仕事のなかで、とりわけ、関係的な仕方で世界のうちにあるあり方が著しく変容してしまう条件を分析することを通して試みているのは、正常であるとか、健康であるとか、よいものであるとかわれわれが考えているかもしれないものを、むしろ否定的な面から把握し、それによってまさにこのようなものを批判的な眼で問うことなのです。

メッセージ

方法論的な核となる問いの一つは、批判とはいったい何か? 誰が、誰を、どのように、どのような理由で批判できるのか?というものです。批判を実践することは、実践の哲学的批判をめぐる方法論的な問いを重く受け止める営みでもあります。そこで求められているのは、批判的実践の内容と目的を学際的な対話のなかで正当化することです。とりわけ、著しく有害な形の[人間]関係の実践を生み出してしまう諸条件があるとき、それらを変化させることが合理的に必要なことだと思わせるように、そのような正当化を行うのです。ここで、啓蒙の神話に逆戻りしないように気をつけねばなりません。なぜなら、「善」のための合理的な変化は、哲学的にはつねに議論の余地があると認められているからです。しかし、哲学の診断的な眼差しは、〈私たちの世界内存在のこのような「歪み」と、それを引き起こす条件の「歪み」を十分真剣に受け止めないとき、いったい何が起こりうるのか?〉ということを少なくとも顕わにすることができます。すなわち、批判する能力、ひいては洞察と自由の可能性を失うことになってしまうのです。

私の授業では、私たちが〈共にある〉ための大事なルールがひとつあります。〈怖がらないで!〉ということです。偉大な哲学的な問いも、他人が思っていることも、そしてもちろん、何よりもまず自ら問いに取り組むことも恐れないでください。私のチームでは、お互いから学び、回り道をし、思考の誤りを反省し、熱く議論し、冷静に分析します。時には違う意見をもつことも問題ありません。これらのことを英語および/またはドイツ語で行います。実践哲学に興味のある人は誰でも、ぜひ参加してください。フリードリヒ・ニーチェの言葉を借りれば、「船に乗れ、哲学者たち!」。ピナ・バウシュ風に言えば、「考えよ!考えよ! でなければ私たちは終わりだ=途方に暮れてしまう」。

他なるものにおいて自己自身と共にあること、それが自由な精神の公式です。哲学するなかで、私たちはそれを経験することができます。それを経験することができるのは、他人の考えに巻き込まれながらも、他の人々のなかで自分自身を完全に見失うこともなく、自分が根本的に制限されているように感じることもないときなのです。このとき、哲学もアートになるのかもしれません。何よりもそれは、生の一つのかたちとなることでしょう。

研究活動

略歴

マンハイム大学とハイデルベルク大学で哲学とドイツ語学・ドイツ文学を学ぶ。2004年、ウルズラ・ヴォルフ教授の指導のもと、「ニーダ=リュメリンの構造的合理性理論における意志の弱さと自己欺瞞」をテーマにした論文で修士号を取得。2005年から2008年まで、バーデン・ヴュルテンベルク州からマンハイム市のハインリッヒ・フェッター財団による大学院資金援助を受ける。2010年、マンハイム大学にて、トーマス・シュランメ教授の指導のもと、「ソシオパシー──道徳的無能力の分析」をテーマにした論文で博士号を取得。2009年から2012年まで、オスナブリュック大学認知科学研究所で行われたフォルクスワーゲン財団の学際的プロジェクト「情動的動物II:実存的感覚、精神病理学、進化論的説明の射程」の博士研究員、ダラム大学(イギリス)とオスナブリュック大学のAHRCおよびDFGプロジェクト「うつ病における情動的経験」の主席研究員。2012年~2013年 オスナブリュック大学認知科学研究所にて研究員として教鞭をとる。2013年、ワイマール古典財団のフリードリヒ・ニーチェ講座のフェロー・イン・レジデンス。2013年~2020年 ヴィッテン/ヘルデッケ大学の文化考究・実践哲学科客員講師。2014年から2018年までゲッティンゲン大学の哲学科で実践哲学の講師を務め、ハイデルベルク大学で教授資格論文執筆のプロジェクトを行う。2020年、マインツ大学医学部の医学史・医学理論・医学倫理研究所で、「医療倫理」応用修士プログラムの講師およびプログラムコーディネーターを務めた後、現職。

主要業績

所属学会

教育活動

授業担当(文学部)

  • 西洋言語学
    Western Linguistics
  • 哲学
    Philosophy

授業担当(文学院)

  • 近現代哲学特別演習
    Modern and Contemporary Philosophy (Seminar and Lecture) 

授業担当(全学教育)

  • ドイツ語演習
    German Seminar

おすすめの本

  • ” Immanuel Kant (1795/A): Zum ewigen Frieden. “
    In the form of a peace treaty, Kant applies his moral philosophy to politics to answer the question of whether and how lasting peace between states can be reached. This requires adherence to maxims guided by reason and developed from underlying concepts. For Kant, peace is not a natural state between people; it must therefore be established and secured. Kant declares the granting of peace to be a matter for politics, which must subordinate other interests to the cosmopolitan idea of a universally valid legal system. Nothing seems to be more politically important at present than what Kant puts in a nutshell in the appendix of this writing: “The right of the people must be held sacred, to the ruling power it may cost however great a sacrifice”! (Kant: AA VIII, 380)
  • ” Sigmund Freud (1930). Das Unbehagen in der Kultur.
    This essay is one of the most influential writings of cultural criticism in the 20th century and is an absolute must read, a classic, for those who are interested in cultural analysis. The decisive question of mankind, the question of destiny, is whether its cultural development will succeed in mastering the disturbance of coexistence by the human instinct of aggression and self-destruction. Freud states: “Men have now come so far in the mastery of the forces of nature that with their help they now find it easy to exterminate each other to the last man. They know this, hence a good deal of their present restlessness, unhappiness, anxiety.” (- Part VII, p. 270). If this is not still highly topical, what else is?” “
  • Max Horkheimer & Theodor W. Adorno (1947). Dialektik der Aufklärung. Philosophische Fragmente.
    This collection of essays by Max Horkheimer and Theodor W. Adorno from 1944 is considered one of the fundamental and most widely received works of the Critical Theory of the Frankfurt School. Faced with fascism and capitalism as new forms of domination to which society offered no effective resistance, the authors subjected the Enlightenment’s concept of reason to a radical critique. The central thesis is that with the self-assertion of the subject, an instrumental reason asserted itself, which solidified as domination over external and internal nature and finally in the institutionalized domination of people over people. Based on this “domination character” of reason, the authors observed the “return of barbarism in reality,” which continues to manifest itself in various ways. This “entanglement of myth and enlightenment” as Jürgen Habermas has coined it, has to the authors opinion not set in motion a process of liberation, but rather a universal process of self-destruction of the Enlightenment. Horkheimer and Adorno think that this process must be stopped with “self-reflection” and self-criticism until today. In my opinion this is the central task of the responsible citizen as an “enlightened” agent.