企画展示「奈良のシカ」(地域システム科学講座)

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《企画の趣旨》

「奈良のシカ」
 <絵図類に見る奈良シカの行動>
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 地域の自然や生物と人の’かかわり’ は、それぞれに歴史や特色を持っています。そして、その’かかわり’ が持続するためには、さまざまな創意工夫とともに、自然や生物に対する深い理解が必要です。
 天然記念物にも指定される『奈良のシカ』は、半野生(free-ranging) で生きるニホンジカの地域集団(local population) として世界的に知られ、古くから古都奈良のイメージ形成、景観形成、地域経済の要として地域社会と共生してきました。
 『奈良のシカ』は、”神護景雲二(768)年に常陸国から神が神鹿とともに遷座した”(「興福寺由来記」)と伝えられますが、実際に史料に神鹿思想が現れるのは久安四年(1148、「台記」「奈良叢記」)以降、春日社と神鹿の関係を表す「鹿曼荼羅」類が制作されるのは1182 年頃以降です。以後、春日野(今の奈良公園)に鹿が増えたようで、多くの歌に「春日」と「鹿」が詠み込まれるようになります。
 ただし、鹿たちが現在のように市中を闊歩するには、政治の後押しが必要でした。嘉禎六年(1236)、興福寺衆徒(僧兵)が強訴手段である「神木動座」に利用したのを皮切りに、「春日の鹿」は”神の意志” を示す使者として頻繁に活用されるようになり、それに伴って、奈良市中には、鹿集団管理(野生動物管理)の仕組みができあがってゆきます。
 ここでは、奈良の町がどのように鹿と”共生” する仕組みを持っていたか、江戸期の絵図類に生態学的考察を加えることで、探ってみたいと思います。
(担当:立澤 史郎)
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 ◎上のパネルのPDF版はこちら
 江戸期頃の絵図や”ガイドブック”類を見ると、絵師が奈良のシカの行動を非常によく観察していることがわかります.ここでは典型的な3つの例を紹介します。
【1】”腰の引けた”シカたち
「春日四所大明神社之図」
(「春日大宮若宮御祭禮図」藤原 仲倫、享保二=1717年に所載、写)
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春日社を代表する祭礼「御祭(おんまつり)」の際の春日社の様子。
春日社の楼門(中門)と南門の間の中庭(林檎の庭)で見物する人びと、雅楽を奏したり踊る人びとなどとともに、四頭のシカが描かれる。春日社は春日山の山腹にあり、本図の上側は山域、下側が参道になるが、よくみると四頭のシカは、いずれも山側の高みから人びとの様子をうかがっている。人慣れし切っているように見える奈良のシカだが、実は祭礼などで人出が増えると、警戒して山に入り、人にアプローチ(餌乞い)するのはごく少数の個体だけとなる。
【2】”お辞儀”をするシカ
「大和名勝豪商案内記」
(川崎源太郎、明治17=1884年、藤田和氏複製本)
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テレビ番組などの影響で近年”奈良シカ”に関する記事や報道が増えたが、そこでよく扱われるのがシカの”お辞儀”。野生では見られない奈良シカ独自の行動、神鹿ゆえの礼儀正しさ、などの解説がまかり通っているが、これは本来、シカが他個体(特に母ジカが仔ジカ)を追従させる際によく見せる行動(つまり要求行動)。右ページの二図にはともに雌雄のシカが描かれているが、うち左図のメスジカは、メスがこの要求行動(お辞儀)をする際に特徴的なポーズ、すなわち両前足を前方に張り出すさまがよく描かれている。
【3】シカ煎餅の起源?
「大和名所図会」
(秋里 籬島、寛政三=1791年、展示は1976年刊の原田幹校訂版)
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江戸期には「奈良」は全国に名を馳せる行楽地となり、それがまた春日信仰の普及に拍車をかけたが、その立役者が「奈良のシカ」であった。茶屋では「火打焼」という餅菓子が人気だった。本図ではシカに餅(または煎餅)を投げる男性(シカと男性が同じ表情をしている)や、餅(煎餅)にしいていた紙をシカにとられる子供などの姿がユーモラスに描かれている。人もシカも、時代を経ても行動はそうそう変わらない。
【3】追記(シカの性別・時期・角切り)
右頁のオス2頭は角が完成(注・鹿の角は毎年生え替わる)しているが鹿の子模様(夏毛の特徴)が残るので、図の時期は今の9-10月前半であろう。左頁の個体は、背中線(黒毛のライン)が明瞭でオスかと思いきや角がない。よって、角が生えるのが遅い1才オス、もしくは背中線が濃くなる老メスのどちらか。いずれにしても、肉付きや角の長さから栄養状態がよかったことがわかる。また、市中に角が生えたオスジカが普通におり、角切りが特定個体(攻撃的な個体など)だけを対象としていたという記述を裏付けてもいる。
参考展示「鹿煎餅」
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大正時代には鹿煎餅が存在したとも言われるが、起源不明。原材料は米ぬかなどで、春日大社の認定業者だけが販売権を持つ(”公式鹿煎餅”には証紙が貼られる)。業者ごとに工夫があるものの、基本的に低カロリーで「食物」としての貢献はほとんどない.「大和名所図会」(展示3)で男性が投げたりシカが食べている”円盤”が、鹿煎餅(鹿専用)なのか「火打焼」(人間用)なのかはいまだに議論が分かれている。
参考展示「鹿角」
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シカの角は1才以上のオスだけに生え、毎年春先に自然に落ち、その後「袋角」が生えて、秋口に固い「枯角」が完成する。シカ類の角は”栄養状態の正直なバロメーター”と言われ、その年の体力・栄養状態・健康状態などを反映して長さ、太さ、表面の状態などが変わる(メスはそれを参考にオスを選ぶ)。展示した2本はどちらも4才以上のニホンジカ成オスの落角。高栄養状態個体群の優位オスと、貧栄養個体群の非繁殖オス(壮齢でも栄養状態が悪いと繁殖行動を示さない)。どちらがどちらか、一目瞭然でしょう。
おまけ
今回の企画展示に興味をもってくださった方に、クイズの企画があります。展示した絵図類(ショーケース内)に登場するシカの数はあわせて何頭になるでしょうか?答えはショーケースのどこかに貼ってあります。是非、実際の展示を見に来てください。
展示ケース前には、地域システム科学講座の研究室紹介のパネルも掲示されています。
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 ◎このパネルのPDF版はこちら